小田原城。

私は見たり見なかったり、半分も見ていないのでどうこうは言えないが、NHKの「真田丸」が評判を取っている。カミさんなど、孫が来ていてもその時間になると「ハイ、バーバの時間」、と言ってテレビの前に座るので、孫は帰り支度となる。
上田城や大阪城といった所縁の城ばかりでなく、あちこちの城が人気を呼んでいるらしい。で、近場で天守を持つ城、この秋の小田原城へ行った。

小田原駅から少し歩くと、お堀が見えてくる。向こうに見えるのは隅櫓。

案内板に引かれている赤い線は、小田原城の平均的な歩き方。
まず馬出門を入り、住吉橋を渡り、銅門をくぐり、歴史見聞館へ入り、常盤木門をくぐって本丸広場を通って、天守閣へ、というルート。
私もそのルートをとる。

向こうに見えるのが馬出門。

このような門。

すっきりとしている。

堀には藻が浮いている。

住吉橋を渡る。
左手に銅門が見える。

銅門の写真を撮っているふたり連れがいる。

銅門、二の丸の門。

このような。

まさに、銅で鎧われている。

ひとつだけ銃眼を。

銅門を抜けた先に歴史見聞館がある。

光輝く武者が迎えてくれる。

戦国武将の年表。
北条早雲から伊達政宗まで。
足利義政、斎藤道三、毛利元就、さらに、信玄、謙信、光秀、そして、信長、秀吉、家康のビッグ3、加藤清正もいれば、もちろん真田幸村もいる。
誰でもが知っている戦国時代のビッグネームである。

小田原の主・北条早雲の登場には、このような背景があったんだ。

当時の関東、東海、甲信越、こういう状況であった。

この人物は、というコーナーがある。

この男、小田原所縁の人物であるが、お解かりか。

当時の小田原の町並みを再現した展示もある。
小田原提灯が下がっている。
眠くなった。
明日、続ける。


今日の韓国、朴槿恵(パク・クネ)大統領に対する弾劾訴追案が、大差で可決された。
朴槿恵、「私の不徳と不覚で・・・・・」、と述べている。
「不徳」はこのような場合の常套句であるが、「不覚」とは何か。
朴槿恵の心の奥底に潜む悲しみを思う。
母を銃撃で殺され、父も銃撃されて殺された。その中で近づいてきた者がいた。いわば新興宗教の教祖父娘。
心の中に砂嵐が吹き抜けているような状態の朴槿恵、そこに心の平安を見出したのではなかろうか。
青瓦台育ちの無垢な娘、ころっと参った。それが大統領となっても続いていた。不覚である。
そうではある。
が、何か悲しい。哀しい、と言ってもいい。中世の日本の天皇に、このような悲しく、哀しい人、多くいたな、と思い。