一ノ瀬智恵乎の図録。

半月ほど前、銀座6丁目のギャラリー暁での関東新象展を見て辞する時、階段のそばで見覚えのある人と行きあった。「○○さん」、と声をかけた。周りにいた人が、「いえ、一ノ瀬さんです」、と言う。私が間違えていた。一ノ瀬さんは、「あらっ」と言って私の名を言った。私のことを覚えていてくれた。
一ノ瀬智恵乎さんと会ったのは、今まで2回しかない。しかし、その作品は記憶に強く残っている。
「色彩」、という印象があった。
今現在の作家にこのようなことを言うのは何であるが、クレーや、デュフィや、カンディンスキーを一ノ瀬智恵乎の作品に重ねていた。
一ノ瀬さん、「この間、個展をやっていたのです。このような」、と言ってその時のパンフレットと図録を見せてくれる。「お知らせくだされば」、と言ったら、「沼津でしたから、あまり」、とのこと。
「図録、今、一部しか持っていないのですが」、と言う一ノ瀬さんに、「ください」、と言った。一ノ瀬さん、その一部しかない図録をくれた。

その図録の表紙。
「ー希望はあるか 2016−」、と記されている。

一ノ瀬智恵乎展、つい先だってまで沼津で催されていた。

一ノ瀬智恵乎≪ノスタルジーc≫。2016 39×90cm 油彩。
ノスタルジー、振りかえる。過去をふりかえる、

ノスタルジー、近寄る。画面を精緻に見る。
アリのようにも見え、怪鳥にも見えるこの生き物。

≪希望はあるか’06≫。
2016 1620×2620mm(F100号×2) 油彩。
一ノ瀬智恵乎の図録、巻頭には美術評論家のかしまかずおによる「慟哭を超え普遍にむかう作家の魂」、という文章がある。
美術評論家という人たちの書くもの、解り難いものが多い。
私の知る美術評論家である早見堯、以前たしかこう言っていた。
「美術評論というもの、わざと解り難く書くことが必要なんです。それが業界の習わしなんです」、と。私の思い違いでなければ。
かしまかずおの文章も難解。解りづらい。

近寄り細部を見る。
美しい。
一ノ瀬智恵乎、多摩美で加山又造の教えを受けている。
日本画を離れ洋画の世界へ、しかし、加山又造の世界は残っている。
抽象の中の具象世界。

左、≪望郷1≫。2016 720×510mm 水彩。
右、≪望郷2≫。2016 720×510mm 水彩。

左、≪望郷3≫。右≪望郷4≫。

左、≪望郷5≫。右≪望郷6≫。
ノスタルジーにしろ望郷にしろ、作家は過去をひきずっている。

その原点が素晴らしい。
左、≪赤の面と線のロボット1≫。2010 アクリル。
右、≪赤の面と線のロボット2≫。2010 アクリル。

2010年の墨絵。
左、≪ドローイング3 面と線のロボット≫。2010 720×510mm。
右、≪ドローイング4 面と線のロボット≫。2010 720×510mm。

共に≪magic box≫。 2009年のアクリル作品。
赤い面と線。矩形であるより立体を感じる。

図録末尾で一ノ瀬智恵乎、こう語る。
<私の描く構造と風景、は自分と社会を繋ぐ過去、現在、未来を辿るノスタルジー、”鎮魂の姿”である>、と。

モンミュゼ沼津の図録、濃密。


フィリピンのドゥテルテ、来日した。
今日、安倍晋三と会談した。先日の習近平との会談ではこれこれ、安倍晋三との会談ではこれこれ、その場その場で発言を使い分けている。
メディアは、何とドゥテルテがスーツを着てネクタイをしている、と報じている。が、ドゥテルテ、そのネクタイは緩めたまま。ドゥルテ、あす天皇皇后と会うのであるが、ネクタイ、きちんと結んでいるや否や、気に掛かる。


北野武、レジオン・ドヌール「オフィシエ」を受賞した。
コメディアンとして、役者として、監督として、絵描きとして、フランスは北野武を誉め称える。フランスという国、どこまでも北野武が好きなんだ。