第60回記念 日本表現派展。

日本表現派、1958年(昭和33年)の創立だそうだ。で、今年、第60回の記念展。
同人の山宣、いつから関わっていたのかを訊いたことはないが、おそらく日本表現派の半分ほどの歴史に関わっていたのではなかろうか。一般の公募から始め、準同人、同人と階段を上っていったのであろうから。長い年月をかけ。
この時期、東京都美術館では幾つもの団体展が催されている。
日本表現派展は・・・

ここ。

初日である。同人、準同人、一般公募の入選者などの人が多く来ている。

山宣・山本宣史の作品があった。

タイトルは、このよう。
ンッ、奨励賞を取っている。山宣、何とも言っていなかったが。

剱岳は山宣の御箱。
若いころ山登りもしていた山宣、登ってもいるようだ。

隅の方にはライチョウもいる。
後で貼りつけたのかと思ったら、そうではなかった。が、とってつけたって感じもする。

向こうの方で話している山宣をつれてきて写真を撮った。記念の時の記念の写真だ。
山宣、珍しくダブルの上着を着ている。
山宣、正装だ。ネクタイはなく、ボタンも留めていないが。山宣、この日の夕刻、日本表現派展の60回記念のパーティーの司会進行役を務めるらしい。それ故のダブルの上着である。

山宣と同じく、今年奨励賞を取っている何人かの中、心に触れたおふたりの同人の作品を載せよう。
澤田朋由紀≪洛陽秋色≫。
ウンッ、これには見覚えがある。京都東山、東福寺の通天橋に違いない。

洛東、東福寺の通天橋、私はむせかえるような青もみじのころに訪れたが、この作品の通天橋は錦秋の通天橋。今頃であろうか、あと1〜2週間先であろうか。

この作品も奨励賞を取っていた。
井原光子≪LAST PEONY≫。
二曲一隻の屏風である。

あでやかなシャクヤク、その花弁に描線がない。たらしこみ技法が使われている。鮮やか。

60回記念展であるためであろうか、

初日であるためであろうか、会場のあちこちで話し合う人たちがいた。
同人、準同人、また一般公募の入選者、過去一年間のことごと、話し合うことは山ほどあろう。


鳥取で大きな地震が発生した。
日本は地震国だ。このこと、忘れてはいけない。原発がらみでも。


来日していたIOCのバッハ会長、今日帰った。
初日には都知事の小池百合子と会い、翌日には首相の安倍晋三と会い、組織委員会会長の森喜朗とも会い、今日は天皇皇后とも会い、と日本を縦断していった。
バッハ、なかなかな人物である。
問わず語らず、小池百合子の前のめりを修正し、森喜朗には兄弟と言わせ、安倍晋三には被災地での開催の意義を説き、天皇皇后には3.11の被災地への共感を語り、と。


ボブ・ディラン、公式HPからノーベル文学賞受賞の文言を削ったそうだ。検索したら、たしかにそう。
ノーベル委員会はボブ・ディランと連絡を取るのをやめている。まったく音沙汰なしなんだから。
ボブ・ディラン、結局は授賞式にも出席せず、結果辞退、ということにしようとしているように思われる。
エスタブリッシュメントであるなんて。