日本版画協会 第84回版画展。

世の中、「オレが、俺が」と言うヤツが多いのに、この男は慎み深い。
今年も日本版画協会の版画展に入ったのに、私たち仲間にそのことを知らせない。偉ぶらないんだ。「私の作品なんか」、と言って。小澤潔の版画展への入選、アサビの吉岡(早見堯)からのメールで知った。

日本版画協会の第84回展、常の如く上野の東京都美術館で。

第1室。
多くの作品が並ぶ。

どの部屋であったであろうか、版画とは思えない半立体作品があった。真ん中の白い作品。
両隣の作品も面白い。

酒井重良≪神殿≫。木版。

こんな半立体作品も版画なんだ。
木版、きっと凹凸の激しい版木に紙を当てプレスするんだ。と、半立体の作品が現れる。まさに「神殿」。カルナック神殿。

「神殿」が白であったからであろうか、左の赤っぽい作品にも目がいった。
永井雅人≪Textures・秋≫。銅板。
この写真を撮った暫らく後、ひとりの女性が近づいてきた。「あなた、今、あの作品を撮っていましたね。どうしてですか?」、と言う。少し驚いた。何かまずいことをしちゃったのかなオレは、と。
「あの赤っぽい色づかいが面白いので」、と答える。そして、「実は、隣の白い半立体の作品が版画としては面白いな、と思ったのです。しかし、その隣の赤っぽい作品も面白い。それで撮ったのですが」、と。
「ところで、貴女はあの作品の作者ですか?」、と訊いた。「違います。私はあの作品の作者の知り合いです」、とのことであった。その女性、最初、まなじり決してという感じで驚いたが。

右の作品は、杉田ケイジ≪LOVE & PEACE −2016−A≫。デジタルプリント。
KIRINとかBudweiserとかデジタル処理をした作品。
美はどこにある、とも思うが、美はどこにもあるとも考える。

木版、銅板、平版、孔版、デジタルプリント、その他。さまざまな技法の版画が並ぶ。

向こうに面白い作品がある。

丸山浩司≪Field of the woods 16−1≫。木版。
遠くから見たら墨絵のように見えた。近寄ってみると鉛筆画のように見える。
が、木版だ。美しい。

静謐なモノトーンの作品が並ぶ。小澤潔の作品も見られるようだ。

小澤潔≪そとは雨降り≫。木版。
小澤の作品、昨年の「Y氏の食卓」に繋がっている。夕飯を食った後のY氏、ベッドに座っている。

<寂寥感の空気なのか、諦観のような世界なのか、とても静かな空気が漂っていました。それにしても、作品名の「そとは」と作品の中の「高窓」の位置から、想像が膨らみました。「そとは」ということは、男がいる「うち」は、単なる家の中ではなく、男の歩んできた人生の内省的な世界なのか、「高窓」なのは、外の世界と距離を置くためのものか、それとも「うち」は、外界と緩やかな距離がある監獄なのか>、自らの作品も「外と内」とを打ち出すHから早見堯へのメールである。

「そとは雨降り」、ときた場合、私の場合は「じゃあ内はどうなんだ」、と思ってしまう。

でも、そとは雨降り、それでいい。
作家の小澤潔、数十回版を重ねている。

ヒツジが2頭、柵にもたれている。
志村冬佳≪隣の机≫。木版、平版。
つまり、木版+リトである。

が、ベニア板を張り合わせたよう。これも版画か、という作品。

途中、ショートカットする。最後の18室へ向かう。

アサビの早見堯の助手・佐藤賀奈子の作品。共に銅板。

佐藤賀奈子≪郷愁 ー灯ー≫。

佐藤賀奈子≪郷愁 −残映ー≫。
<多様なテクニックで巧緻な銅版画です>、と師の早見は言う。
そうだと思う。写りこみもあり、やや腰が引けたもの言いではあるが。



平尾誠二が死んだ。53歳。
驚いた。癌らしい。
多くの人が追悼の言葉を述べている。
私は大八木敦史の言葉を待っていた。
京都伏見工で花園を制覇し、同志社で大学選手権3連覇、神戸製鋼で日本選手権7連覇、そのすべてでともに闘った大八木敦史、こう語る。
「平尾は、おるやつやった。ずっとおるやつやった」、と。
多くのラガーマンが追悼の言葉を述べる中で、大八木敦史のこの言葉が心に沁みる。


伊調馨が国民栄誉賞を受けた。
安倍晋三、副賞として西陣織の帯を手渡した。西陣織の帯、高価なものであろう。が、帯と共に着物も奮発してもらいたかったな。


アメリカ大統領選のテレビ討論、今日が最終。
アメリカの大統領選を考えるたび、いやな気分に引きこまれる。アメリカに世界のリーダーを任せておいていいのか、と。
お互い、非難の応酬、悪口の言いあい。
トランプは最低、バカにもほどがある。傲岸なヒラリーも、いけ好かない。が、どちらかを選ばなきゃならないとしたら、ヒラリーの方がよりましであろう。
で、ヒラリーと当確を打つ。