関東新象展 2016。
銀座中央通りから昭和通りの間には画廊、ギャラリーが多い。この間、細い道を入れて4、5本の通りがある。
京橋のあたりから銀座1丁目、2丁目、3丁目、4丁目ときて8丁目まで。そのそれぞれに画廊があり、ギャラリーがある。
ギャラリー暁、銀座6丁目、松坂屋の横を入り昭和通りの一本手前。何日か前に記した画廊るたんのお隣さん。
ギャラリーに入ると、中の皆さん、なにやら真剣な面持ちである。
それはともあれ、右手の方に安藤さんの作品が見える。
看板に使う絵具で描いた安藤イクオさんの作品。
タイトルは、いつも変わらず≪文字はアートだ≫。
私が知る安藤さんの作品、常に百人一首から一首が描かれている。
今回の作品は・・・
ほととぎす 鳴きつる方を
ながむれば
ただ有明の月ぞ残れる
後徳大寺左大臣
後徳大寺左大臣、平安末期の公卿。
この時代、宮廷政治の末期、宮廷政権から武家政権への過渡期であったであろう。だが、後徳大寺左大臣の歌には、まだその変革を捉えていない心が感じられる。歌詠みの文人ではあるが、政治家ではない。
安藤イクオさんの作品からは、いささか離れたか。
軍手の作家・相本さんの作品がある。
相本みちる≪道しるべ≫。
相本さんにしては、なんてまともなタイトルであろうか。いつも洒落のめしているタイトルをつけている相本さんが。もろ道祖神じゃないか。この≪道しるべ≫は。
こちらへ戻す。
安藤さん、「作家が自作を語るんです」、と言う。ええ、皆さん、真剣である。
この名札をつけた人が進行役。
後ろを回る。
こちら側へ。
合評会である。
帽子を被ったこの人、自作を語る。
この作品を。
進行役の男性、おそらくいつもその任にあるのではなかろうか、作家から、また聴いている会員から言葉を引き出していく。
山粼道子≪パスワード≫。
こういう質問があった。「人物の顔が真ん中に描かれているのですが、どういう意図で?」、と。
帽子を被ったお年を召した女性である山崎道子さん、こう答えた。「偉い先生方は、真ん中ではなく右か左、特にやや左の方に寄せた方がいい、と言われるのですが、私は真ん中でいいと思い描きました」、と。
山粼道子さん、信念に満ち、確信的な声音で。
関東新象展の会員の皆さま方は、真剣な面持ちでその模様を受けている。
その中、私は、どうも山粼道子さんへ大きな声で話しかけたようなんだ。山粼道子さんの次の作家の方、それを怒って話を途中でやめられた。
申しわけない思いである。ごめんなさい、である。
犬飼三千子の作品がある。
犬飼、「作品発表が続くので、皆さまには案内を出さなかった」、と言う。
私は、安藤イクオさんからの案内ハガキで知った。犬飼三千子ではなく。
犬飼三千子≪花に寄せて≫。油性木版。
この作品にも、地上最大の花・ラフレシアが描かれている。私だけが勝手にそう思っているだけであるが。