第59回新象展。


第59回新象展、都美術館で6月上旬に。

第1室。

今回の企画展示は、「大きさは重要な・・・」の第3弾。今回の参加作家は4人。
何年か前、犬飼三千子もフューチャーされていた。

第2室、特別企画の大きな作品が占める。

久保田敬祐≪生命的空間≫。

松田純子≪This is the 「縄文時代」≫。

青山明嗣≪ハタ(凧) armament Ⅰ−Ⅲ≫。

茂木秀夫≪地の香≫。

今回、企画展示「その2」もあった。
「気仙沼メッセージ鯉のぼり展」への応援。

私が行ったのは初日の早い時間。が、すでに多くの鯉のぼりが泳いでいる。新象展の会員たちが描いたものだそうだ。
端の方に机がある。マジックインクなどが乗っている。

近寄るとこういうものが。皆さん、描いてください、と。
1ぴき 1000円、はんみ 500円、うろことかしらは100円。
「はんみ」って表現、面白い。魚屋だ。「うろこ」は魚屋では価値がないが、ここの場合は意味を持つ。気仙沼へ送るそうだ。
気仙沼には思い入れがある。
3.11の大震災の後、交通手段と宿がない状態が続いた。やっと三陸沿岸へ行くことができたのは、翌年初めであった。電車は復旧しておらず、釜石から1日2便のバスで大船渡へ行き、気仙沼へとたどり着いた。
大震災から10か月経っていたが、釜石も大船渡も気仙沼も、そのさま酷い状態であった。夜、気仙沼の復興屋台村「気仙沼横丁」で飲んだ。
昨年夏には、八戸から久慈、宮古、釜石、大船渡、気仙沼、石巻、仙台まで、バス、電車、BRT、9路線を5日間かけて三陸沿岸を歩いた。三陸の町々、復旧作業の最中にあった。
気仙沼では、また復興屋台村「気仙沼横丁」へ行った。屋台村の女将さん、「来年の10月で復興屋台村は終了となるのです」、と話していた。つまり、今年の10月で。
気仙沼の鯉のぼりのことは知らなかった。が、気仙沼、復興屋台村が終わっても前へ進まなければならない。

うろこの一片を描いた。
目ん玉を3つ描き、「宮古・釜石・気仙沼」と書いた。流山子とも。森進一の「港町ブルース」である。
たった一片のうろこである。気仙沼の空へ行ったであろうか。

鯉のぼりの机を覘く人はいるのだが、なかなかうろこ一枚描く人はいない。
「私、鯉のぼりの担当じゃないのだが」、と言って右の人が来た。暫らくの間話した。安藤イクオさんという。
安藤さんに、昨年も今年も出展していない吉田佑子さんのことを訊ねる。「吉田さんは定年です」、と安藤さんは答える。「絵の団体に定年なんてあるんですか」、と訊く。と、「いや、前衛芸術というものは体力がいるんです」、と安藤さん。「特に吉田さんの作品はそうです。で、退会されました」、と。たしかに吉田佑子さんの作品は大掛かりなものであった。80を超えた身体にはきついものであろう。が、残念。
安藤さん、話好きな人であった。
「私は10代のころからここへ入っているので、もう半世紀に近くなる」、と安藤さんは言う。「絵を描いているが、字を教えてもいる」、と話す。こんなこと言ってはナンであるが、「本職は何で生きてきたのですか」、と訊いた。「看板屋です」、と安藤さんは答える。「看板屋も体力がいるんです。屋根の上に上がったりしなければなりませんから」、と安藤さん。
「安藤さんが描いた鯉のぼりはあるのですか」、と訊いた。「あります。これです」、と右上の方を指さす。

安藤さんの鯉のぼりは、「いのち大切に」、と書かれたこの鯉のぼり。
「安藤さんの作品はどこにありますか」、と訊いた。「この先12室にあります。赤い作品です」、と言う。
「安藤さんのこと私のブログに載せてもよろしいですか」、と訊いた。「かまいません。どうぞ」、との答え。
で、12室へ。

12室へ入ると、真ん中に相本さんの軍手作品がある。

相本みちる≪呆気羅漢≫。
いつもながらのタイトル。

その向こうに犬飼の作品が見える。

犬飼三千子≪往にし方≫。
私には理解できるとは言えないが、犬飼が追い求めている世界。

向こうに安藤さんの赤っぽい作品が。

安藤イクオ≪文字はアートだ≫。
ウヌッ、同じものではないが、この作品には見覚えがある。去年も一昨年も見ている。
今回の作品は、左京大夫顕輔の歌。「秋風に ・・・・・ ・・・・・」。
後ろに安藤さんが来ていた。アクリルかなと思った絵具を訊いてみた。「看板の絵具です」、との答え。「仮に半年ばかり外へ放り出していても大丈夫です。むしろカンバスの方がダメになります」、と安藤さんは言う。
右上のグルグルとした丸いものは「歌に詠まれた月です」、とも。
犬飼がらみで観に行く新象展、その折々面白いことがある。


感情に流されEU離脱を選択したイギリス、早くもregret・後悔、「Bregret」状態となっている。