第60回記念新象展。

美術団体というもの、日本に幾つあるのかは知らない。ずいぶんあるな、ということのみ。

初夏の都美術館では多くの団体展が催されてている。犬飼三千子が所属する新象展も。
新象展、60回の記念展であるそうだ。

入口の横にこれが立っていた。
鯉のぼりのワークショップが今年も開かれている。

第1室へ入る。
ウィークデーではあるが、人は少ない。

途中の部屋に、新象展の初期の頃の図録などが並んでいた。歴史があるんだ。

第2〜3室では、第60回記念の特別展示が催されている。
出展作家は30人ほど。初期の頃の人は少ないが、60回で30人だから、大まかに言えば2回に一人ということになる。
2000年の第43回展からは犬飼三千子が選ばれている。
犬飼三千子、凄いじゃないか。少し大袈裟に言えば「マン・オブ・ザ・イヤー」ってことになるんじゃないか。
古い仲間である犬飼の作品が、「新象60年の軌跡」の特別展示に並んでいること、とても嬉しい。

その犬飼の作品が見える。

犬飼三千子≪飛翔≫。2000年、変形100号。
犬飼、時折り、合板を切った作品を作っていた。この作品もそう。合板を加工し、そこへ彩色をほどこしている。
それにしてもこの作品は、いい。美しい。
描かれたフォルムは、犬飼特有の弾け拡散するイメージ。まさにタイトルそのままピタリ。宇宙空間へ飛んでいきそう。

一部を拡大。
色づかいも凄いな。
何だか、やけに大袈裟に言っちゃってるな、ということ重々承知ではあるが。

今年の犬飼の出展作は、第4室にあった。

この2点。

犬飼三千子≪往にし方(1)≫。

犬飼三千子≪往にし方(2)≫。
犬飼の作品である。犬飼のフォルムである。しかし、何か物足りない。
17年前の、宇宙空間へ飛び出していくようなパワーを感じない。

最後の第12室に入る。
安藤イクオさんの作品、すぐ分かる。「文字はアートだ」だから。字が書いてあるやつだから。
中央の床にあるのは、相本みちるさんの作品であろう。今までの作品とはずいぶん印象の異なるものであるが。

安藤イクオ≪文字はアートだ≫。
安藤イクオの作品、顔料は看板を描くペンキ。その上に優美な王朝時代の和歌が描かれる。

   久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ   紀友則

この画面、安藤イクオの独自世界。
昨年安藤さんは、新象展に出展して半世紀と話していた。こんど会ったら、何時からこのような和歌絵、文字絵を描くようになったのか訊いてみよう。

相本みちる≪和≫。
手袋の作家・相本さんと知り合って何年かとなるが、このような作品を見るのは初めてである。今までに見た作品の中で、出色。洗練された手袋作品である。
それにしてもタイトルの「和」、何と読むのであろうか。
「わ」か。「かず」ではなかろう。
作品の佇まいを考えれば、「わ」に繋がる「なごむ」或いは「なごみ」であろう、おそらく。

周りの円環の真ん中に小さなものがある。これが、キモ。
円環と点、それが「わ」乃至は「なごむ」、「なごみ」を醸し出している。

円環に近づく。

常の軍手。

「わ」、「なごみ」。

平面作品に囲まれ、存在感ある。

ところで「鯉のぼりのワークショップ」である。途中の部屋で行われていた。

壁面を泳いでいるのは、新象展の会員が描いたもの。

あの大震災から7年目となる。
もともとこの気仙沼の鯉のぼりプロジェクト、気仙沼中学の卒業生が始めたもののよう。そこに昨年から新象展がバックアップしている模様。

「気っぱれ東北・気仙沼」。
そうだ。

昨年はうろこ1枚を描いた私、今年は頭と切り身一切れを描いた。

鯉じゃなく鮭、それも塩じゃけとなった。
それはいいんだ。中にはイワシの人もいるんだから。サケのぼり、イワシのぼりである。
このところ1年一区切りと考えている私、来年のことは軽々に言えないのであるが、もし来年の新象展へ行くことが叶った場合には、気合を入れて半身程度は描きたいな、と思っている。
なお、第60回記念の新象展、東京展、名古屋展は終わり、今月20日からは大阪展。大阪市立美術館で催される。