Bar十月 犬飼三千子展。

犬飼三千子からハガキが来た。
毎年恒例、Bar十月での犬飼展の案内。

Bar十月、新宿ゴールデン街。

Bar十月へ行く前に歌舞伎町の居酒屋で下ごしらえをした。「速い、美味い、安い」の清龍で。
9月も下旬、陽は短くなった。6時半過ぎだというのに、もう真っ暗。ゴールデン街へ向かう。犬飼三千子を含め6人で。

アメリカから日本へ来たビリケン、大阪が本拠のはずなのに、東京新宿ゴールデン街にまで進出している。

6時半を過ぎた頃、ゴールデン街はまだ眠っている。灯が点いている店はほとんどない。
Bar十月は点いている。

細い階段を上がる。

Bar十月へ入る。
きれいに剃りあげた高橋の頭、見事である。

和子ママもお元気。変わりなし。

オレたちはこちらに座ろう。

犬飼三千子の作品。
右の作品は、≪往にし方≫。油性木版であろう。
それより犬飼三千子、「往にし方」を「いにしえ」とルビをふっている。なるほど。

額のガラスに店内の明かりが写りこむ。
Bar十月のような環境で展示した場合、予定調和と言えなくもない。それはそれで、写りこみも。

≪花に寄せて≫。やはり、油性木版であろう。

こちらの壁面。

いずれも、≪宙のまど≫。10センチ×10センチ。

そのひとつ。
エディションは、1/1。この作品、1枚しか刷られていないんだ。お買い得だよ。

右側にバッグが掛かっている。何年か前、犬飼がバッグ作家とコラボした時の作品だ。
左には、「健さん」のポスターが貼ってある。「健さん」、高倉健を追ったドキュメンタリーである。その監督は、Bar十月の客・日比遊一。
「健さん」、健さんゆかりの人を追っている。マーティン・スコセッシやマイケル・ダグラスや山田洋次やといった人を。いずれ日を改めて記すつもりであるが、興味深い映画である。
真ん中に剃りあげた高橋の頭が見える。
で、高橋、こう言う。
「犬飼さんって、凄いよね」って。
高橋、犬飼のプロフィールを見ていたんだ。

犬飼三千子のプロフィール。
日中、日韓がどうのこうの、という中、犬飼三千子、中国や韓国のアーティストと交流を重ねている。
それはそうと、犬飼三千子の作品を所蔵している美術館や博物館がいい。
済州島とかフフホトとか台湾、韓国、日本では北海道であるとか、といった美術館や博物館がいい。

「私、学生時代ミニスカートをはいていたのよ」、という犬飼三千子、以来数十年経ち数十キロ増量、今、福々しい面持ちとなっている。

水性木版であろうこの作品は、美しかった。
Bar十月には、9時前までいた。
Bar十月を出て駅の方へ歩きはじめると、高橋がこう言った。
「もう帰るの。もう一軒行こう」、と。

で、高橋馴染みの歌舞伎町のこの店に行った。
ビルの5階だったか6階だったか。この店、何度か高橋からご馳走になっている。この日も店には誰も客はいなかった。

この店には11時前までいた。
その間、店には誰も入ってこなかった。
これで成り立つのか。
この店、歌舞伎町で十数年やっているという。リタイアした私には縁遠くなったが、歌舞伎町のこういう店、これからなんだ。
この翌日、犬飼三千子、こういうメールを発していた。
<高橋様
絵描き仲間では、絶対に行けない高級なバーでご馳走様になり、感激でした。
日本の経済政策の間違いについて、次の機会にまたいたしましょう。>、と。
日本の経済政策についてもどうこうなんだ。
ま、そんなことはいい、としよう。


昨日ノーベル文学賞を受けたボブ・ディラン、ノーベル委員会とのコネクションが上手くいっていない、ということらしい。
ボブ・ディラン、ラスベガスでライブを行っているのであるが、ひょっとすると、ボブ・ディラン、ノーベル文学賞を辞退するかもしれない。
ジャン・ポール・サルトル以来のノーベル文学賞辞退を、ということかもしれない。
しかし、そうであるにしろ、その根拠は稀薄なものであろう。サルトルほどの明確さはない。
ボブ・ディラン、受ける方がいいよ。
どう考えても。