Prints 6展。

女性の時代になってきた。生きている人の半分は女性なんだから、当たり前のことなんだが。
今日も、金のかかり過ぎるオリンピック・パラリンピック施設の見直しで、森喜朗と小池百合子がドンパチをやっているが、どう考えても、森喜朗は守旧派の悪代官であり、小池百合子は正義の味方だもの。女の勝ち。
それはともかく・・・

夏の盛り7月下旬、犬飼三千子から女流6人による版画展の案内がきた。

銀座7丁目、中央通りから一本入った櫟画廊、地下へ下りたこじんまりとしたギャラリー。

右手に犬飼の作品がある。

犬飼三千子≪花によせて≫。
共に、油性木版。犬飼三千子、得意のテーマ。
後で気がついたが、昨秋の銀座、ギャラリー・オカベでの犬飼三千子の個展の時にも出されていた作品。犬飼自身思い入れの強い自信作なのであろう。

この地上最大の花は、ラフレシア。大きなものでは花径1メートル近くになるという。もちろん見たことはない。モノの本で知ったのみ。
現代ではなく、「原始世界は」って花である。
犬飼のこの作品の左上が、それを思わせる。ラフレシアの一部分を。形状も色彩も。

ここにもラフレシアがある。
原始、元始の世界。独自の世界。
作家・犬飼三千子はどう考えているのかは知らないが。

画廊内の反対側。
ここにチラと写っている女性を含め3人の女性がいた。犬飼も。
犬飼とは長年のつき合いであるが、初めて会ったお二人もよく喋る。尖閣諸島の問題などを。このころ、中国の船が尖閣近辺にうようよしていた頃だったのかもしれない。
そのお二人から名刺を頂戴した。手づくりなのかカラーの名刺。ご自身の作品も刷りこまれている。もちろんカラーで。「犬飼の作品と一緒にブログに載せてもいいですか」、とのことに、「どうぞどうぞ」、とのこと。笠井順子さんと和田喜代さんと言われる。上の写真の右側の3点の作家。

笠井順子≪空に向かう(水底から)≫。
木版リトグラフ。
こうして見ると、尖閣や今現在のことごとを話している人の作品とは思えない。

笠井順子≪山の話Ⅲ≫。
木版リトグラフ。
この浮世離れした花、ルドンを思わせる。幻の花。

和田喜代≪風をおいかけて≫。
銅板 ミクストメディア。
この作品、三幅対である。
三幅対で思い出すのは、フランシス・ベーコン。「風をおいかけて」なんて情緒的なタイトルでなく、ガラッと変えた壮大なタイトルが良いのではないか。どうだ。
この作品、私には「天地創造」、逆にまた、「この世の終わり」に思える。始まりにしろ終わりにしろ、大きな宇宙の蠢きに。
が、Prints 6、女流の皆さまの勢いを感じる。女性の時代を。