洛中洛外図屏風 舟木本。

今でも稀に「天子さまは東京にお貸ししているだけや」、と言う人がいるが、ことほどさように、やはり都は京都なのかもしれない。
「洛中洛外」なんて京都以外じゃ聞かないもの。東京でも奈良でも、もちろん大阪でも。洛中洛外図屏風、いわば都・京都の名所巡りと町中の喧騒を描いたものである。
中でよく知られる洛中洛外図屏風は、岩佐又兵衛の手になる舟木本。この春、国宝に指定された。

国宝指定を祝い、4月末から5月初めにかけての10日間、展示された。東博で。

東博と凸版印刷とのコラボであるミュージアムシアターでも、舟木本の洛中洛外図屏風を上映した。

舟木本の見どころは、数多くの人物。

総勢2千数百人。

前期は見られず、後期の映像を見た。

舟木本の解説と凸版印刷の技術について。

成し遂げた高品位複製の洛中洛外図屏風。
触っちゃいけないが、写真はどうぞというスタンス。
岩佐又兵衛の洛中洛外図屏風、豊臣から徳川へ権力が移行する時代を描いている。右隻には豊臣政権の時代を描き、左隻には徳川政権のありさまを描く。
慶長3年 豊臣秀吉が死ぬ。慶長5年 関ケ原の戦い。慶長8年 徳川家康、江戸幕府を開府。慶長19年 大坂冬の陣。慶長20年 大坂夏の陣。大阪城は落城、豊臣氏は滅亡する。
岩佐又兵衛の洛中洛外図屏風は、この慶長19年から20年の間、豊臣から徳川へ時代が移行する直前に描かれていたようだ。

右隻。
豊臣秀吉が造った方広寺の大仏殿が、大きく描かれている。

左隻。
左端には二条城。家康の京都での象徴。

左隻から幾つかの画像を。
祇園祭だ。

戦国時代の収斂である。
が、まだ荒ぶる連中もいた。

ここでは裁判が行われている。

やんごとなき人が牛車に乗っている。
向かっている先は・・・

二条城である。
二条城、家康の京都出張所である。そこへやんごとなき人々が訪れる。
天皇を頂点とする権力基盤、古代はまだしも中世以降は形骸化されていく。武力を持ったいわば成りあがり集団に国の実権は移っていく。
天皇はじめ公家集団は、後追い後追いの時代を過ごす。明治維新が成るまでは。

それはそれとし、岩佐又兵衛の洛中洛外図屏風、市井の庶民の姿が面白い。
左の店は扇屋ではないか。

正面の店は陶器屋か。
並んでいるものからビードロ屋かも思ったのであるが。

正面のあの紋章は雁金屋ではないか。
尾形光琳の実家の雁金屋。光琳が世に出るのはこの100年ほど後であるが、雁金屋、淀君の着物も納めていた老舗大店、このころから「どうだ」であったのかもしれない。