洛中洛外図屏風(舟木本)は、豊臣から徳川の世へ移行する京の姿を切り取る。

京の都を描いた洛中洛外図は、室町時代から江戸時代にかけ数多く描かれた。その中で、「これぞ」というものが岩佐又兵衛が描いた洛中洛外図屏風、通称「舟木本」。
江戸時代初期、恐らく大阪夏の陣の年、慶長20年(1615年)の作であるらしい。信長、秀吉の戦国時代から家康の安定した時代への通過点、と言える時である。
岩佐又兵衛、その豊臣から徳川へと時代が移り変わる京の姿を切り取る。

東博と凸版印刷とのコラボであるミュージアムシアター、東洋館の中に専用の劇場を創り有料制にしたことによって、かえってファンが増えている。ウィークデーであったが、ヘタな映画館よりお客の数は多かった。定着してきたようである。
ところで岩佐又兵衛、摂津の国有岡城主・荒木村重の子である。その父・荒木村重、主君・織田信長に反旗を翻すが、信長により一族郎党すべて殺される。当時2歳であった後の岩佐又兵衛のみ、信長の目を逃れ生き延びたそうだ。凄い時代、戦国なんだ。

劇場前にこれがあった。
凸版の最新デジタル技術による高品位複製。原寸大の六曲一双屏風。
触ってはいけないが撮影はOK、と記されている。

その右隻。

その左隻。
細部を見ていく。

右隻の1、2扇。方広寺大仏殿である。
方広寺大仏殿、豊臣秀吉が東大寺をしのぐ大仏を造ろうと大仏殿を建立したもの。しかし、その後地震により崩壊したそうだ。
しかし、豊臣の象徴である。大きく描かれている。

その近くには、豊臣秀吉を祀る豊国廟。人々が花見に興じている。

左隻6扇には、京での徳川の象徴である二条城が描かれている。

すぐ下には、裁判の模様も。
力の時代から法の時代に入りつつあるんだ。

ところが、戦国の世は終わっているのに、まだ武器を振りまわしている連中もいる。

西本願寺も大きな勢力となっている。信長には弾圧されたが。

鳥居の扁額に「感神院」と書かれている。祇園さん、八坂神社である。
明治の廃仏毀釈によって「八坂神社」と名が変わったが、江戸時代には「祇園感神院」と呼ばれていたそうだ。

賑やかな通りだ。
呉服屋や漆器屋、掛軸屋、扇屋、本屋、さまざまな店が軒を連ねているようだ。

四条河原には見世物小屋が出ていたらしい。
この下の方は、人形浄瑠璃の小屋。歌舞伎の小屋も。

寺町通りを異人の一団が。

ここは遊郭だ。
格子戸の向こうから誘っている女もいれば、通りで抱き合っている二人もいる。
岩佐又兵衛が描く≪洛中洛外図屏風(舟木本)≫、京の情景も面白いが、その町に住む人々の有り様が面白い。

さらに、ここ。
ここは、一条戻橋。
牛馬が入らないようにそれを止める柵があるのに、中に入っている牛がいる。どういうことか。
一条戻橋、古来多くの伝説を持つ。
岩佐又兵衛、一条戻橋に「此岸と彼岸」を想ったようでもある。「もう引き返せない」、との思いもこめたようでもある。
つまるところは、こうであろう。
世の中は、豊臣から徳川の世に変わった、もう引き返せない、と。
≪洛中洛外図屏風(舟木本)≫、丁度400年前に描かれた。多くのことごとを今に伝える。面白い。