戦争の8月。

道新(北海道新聞)と並ぶブロック紙の雄は中日新聞。その中日の東京版が東京新聞である。購読料が安いばかりじゃなくユニーク。もちろんクォリティーペーパーである。
戦後70年の節目にあたる昨年、1年限定で「平和の俳句」の連載を始めた。選者は金子兜太といとうせいこう。
金子兜太は言わずと知れた金子兜太、トラック島で終戦を迎えた金子兜太。いとうせいこうは私にとってはみうらじゅんとのコラボ『見仏記』のいとうせいこうであるが、マルチな才人として知られるいとうせいこう。
その昨年の新聞連載の「平和の俳句」、今年、『平和の俳句』として小学館から上梓された。
あちこちから寄せられ、金子兜太といとうせいこうが選んだ句、8月の掲載句から幾つか。
8月 2日    沢村投手をなぜに死なせた遠蛙     津田正義(76)
   5日    もう渡るまい大東亜といふ虹の橋    並木孝信(81)
   6日    トーストの焦げ削り食ふ原爆忌     若林卓宣(66)
   9日    郭公が啼く原爆などいらない      小川千里(65)
  15日    千枚の青田に千の平和あり       浅田正文(74)
  19日    九条は知覧ほたるの心です       酒井良信(90)
  22日    餓えていたとにかく餓えて汚れてた   樋口英世(73)
こうして拾い出すと年寄りばかりだな。しかし、実際にはそうでもないんだ。
8月末の昨日、今日の句を載せよう。
8月30日    若者に武器より強い夢持たせよ     小倉亜希(18)
  31日    青空よ語り部と共に去りゆくな     小池海人(19)



「平和の俳句」としてのくくり、平和への希求という意味合いが強いものである。戦後既に70年が経っているということもあろう。
戦争の8月、昭和20年の戦争後のありさまではない。
野坂昭如著『火垂るの墓』、14歳の清太、4歳で死んだ妹・節子を自ら荼毘に付す。
<・・・・・、いわれた通り大豆の殻を敷き枯れ木をならべ、木炭ぶちまけた上に行李をのせ、・・・・・、大豆殻パチパチとはぜつつ燃え上がり煙たゆとうとみるうち・・・・・>、と。
これが戦争。70年、71年前の戦争。
戦争の8月、今日、末日。あとひとつ加える。


市井の歌詠みであったお袋の遺歌集から何首かを。
日本敗戦時、32、3歳であったお袋、敗戦のどさくさの中、私の弟である次男を亡くす。満州の地で。
     荼毘にすと墓掘り返し蓋とれば児は生けるごと林子を抱く
     積みあげし薪の上なる鉄板に亡き児をのせぬ抱きしめたし
     赤々と薪燃えくれば鉄板の吾子の手足にはや煙立つ
     温き骨箱抱き帰るさを引揚近き街を通りぬ
墓を掘り返し荼毘にふす。我が子を。昭和20年の満州である。
満州、日本の傀儡国家であった。敗戦後、その満州での日本人、いかばかりかと考える、今。
戦争だったんだ。