東博の桜(続き)。

東博のお花見、本館内でも桜めぐりを催している。

書画、陶磁、漆工、能装束、歌舞伎衣装、浮世絵、・・・・・、桜をモチーフとした品々が並ぶ。
中で屏風を2点。

実はこの時季の東博、2、3年に一度はこの屏風が展示される。
国宝≪花下遊楽図屏風≫。六曲一双 紙本着色。
狩野長信(1577〜1654年)筆 江戸時代、17世紀。

右隻1〜4扇。
3、4扇は、修復時、関東大震災にあい焼失している。

右隻5、6扇。

左隻を斜めから。
皆さん、浮かれている。

左隻3、4扇。

左隻5、6扇。

若い男女が音曲を楽しみ、風流踊りを踊っている。その衣装もファッショナブル。
狩野長信、狩野派のドン・狩野永徳の弟。<背景に金碧を用いず、水墨画の技法を生かしている>、と東博の説明書。
華やかさ、匂い立つ。東博が、2、3年に一度は引っぱり出していること、よく解かる。

今回、渡辺始興筆の六曲一双≪吉野山図屏風≫が展示されていた。光琳の影響を受けたいかにも「琳派」、という雅な屏風である。
しかし、個人蔵である故であろうカメラは不可。残念ながら、写真なし。
が、同室に素晴らしい作品があった。上の屏風である。
俵屋宗達筆≪桜山吹図屏風≫。六曲一双。
俵屋宗達、その生没年は不詳である。しかし、おそらくこの屏風、慶長10年(1605)頃に制作された模様。桃山時代の末期、江戸時代の始まる直前だ。宗達初期の作品となる。
実はこの屏風、俵屋宗達と本阿弥光悦の合作である。宗達が描いた上に、光悦が書いた色紙が貼られている。
”色紙貼り付け屏風”であり、”貼り混ぜの屏風”である。

その右隻。
白い山桜と、

その左隻。
金色の山吹。

右隻1、2扇。

右隻3、4扇。

右隻5、6扇。
実はこの≪桜山吹図屏風≫六曲一双、田沢房太郎という人から東博へ寄贈されたもの。田沢さんという人、どういうお方かは知らないが、国民にとっては大変ありがたいお人である。

左隻1〜4扇。
貼りつけられている色紙、本阿弥光悦が古今和歌集の歌を書いたものだそうだ。

少し近寄る。

より近くへ。
さほど崩しているとも思えないこの程度の文字が読めない、という学のなさが歯がゆいが、いまさらどうしようもない。
右手の色紙、”山里ハ”、”鹿のなくね”、という文字から古今集を探る。と、<山里は 秋こそことに わびしけれ 鹿の鳴く音に 目を覚ましつつ   壬生忠岑>、となるのであるが、さてどうなのか、どうも怪しい。宗達の絵は桜と山吹、春なのに、光悦の書は秋なんだから。
その左の<三芳野乃・・・>の歌も、参議雅経の秋の歌に行き会う。本阿弥光悦、季節など考えず、これぞという歌を書いたのか。それとも宗達が、季節などより感覚で色紙を選んだのか。
そのようなこと、何とも解からないが、宗達と光悦の素晴らしいコラボが生み出した美であることは確か。