黒い飛天。

山宣(山本宣史)が属する団体・日本表現派、時折り、その中の仲間内でのグループ展も行っている。つい先だっても催された。京橋のgalerie SOLEILで。

今回のコンセプトは、「イメージとしての黒」。

ギャラリーの中、誰もいなかった。ギャラリーの人のみ。正面に見える大きな絵、山宣の作品だな、とすぐ分かる。
ギャラリーの人に、山宣の友達で彼の作品はいつも撮っていると話すと、じゃあ山本さんの作品だけにしてください、との応え。他に知っている人が何人もいたのだが。
以前会った展覧会の折りには関西から東京へ来てホテルオークラへ泊っている、ただし「素泊まりですよ」、と言っていた山口亮子さん。また、「テレビなんてものは持ってない。やめた。だから、夕飯を食ったら何もすることがないので寝る」、と話していた廣瀬創さん。以前紹介したことがあるこのようなユニークな方々の作品、今回は撮らなかった。
仕方ない。山宣の水墨画一本でいこう。

山宣(山本宣史)の水墨画≪黒い飛天≫。
オルフェネグロス(黒いオルフェ)のボサノバのリズムが流れる。脳内に。
黒い飛天という言葉、黒い聖母、黒いマリアという言葉をも思い起こされる。

が、山宣の黒い飛天、アジアの飛天。
敦煌の、法隆寺の飛天が黒化した。法隆寺金堂壁画の飛天は炭化した。
しかし、山宣の飛天、何故に黒化、黒くなったのか。考えてみると、難しい。
山宣は如何に考え黒い飛天を描いたのか。どうなんだ。

短時間であったが、私がギャラリーにいた間に入ってきた人は誰もいなかった。ギャラリーの人が入れてくれたお茶を頂戴し、ギャラリーを辞した。
外へ出、ガラス戸を閉めると、ギャラリー内の正面に山宣の「黒い飛天」が見える。

galerie SOLEILでの「黒い飛天」、決まっている。