オノ・ヨーコ 私の窓から展。

「YES オノ・ヨーコ」展が水戸芸術館で催されたのは、2003年の今ごろである。その時の図録を引っ張り出すと、あちこちにリキの入った書きこみをしている。
1962年、銀座の村松画廊でのパフォーマンス会場に入ってきた髪の長い女、それがオノ・ヨーコ(小野洋子)を目の前にした初め。その年の秋、上野の文化会館小ホールでのジョン・ケージ「ミュージック・ウォーク」でのピアノの上の横たわる小野洋子。水戸の図録のあちこちにそのようなことががちゃがちゃと書きこんである。
それから12年経ってのオノ・ヨーコの大規模な展覧会。MOT(東京都現代美術館)で開かれている。

「オノ・ヨーコ|私の窓から」。
MOT前の看板。

オノ・ヨーコと身を重ねたくはないが、陽射しのかげんでこうなった。

撮影が許されているところのみを撮る。
≪バッグ・ピース≫。

このようなもの。

≪握手をする絵≫。

このようなもの。

≪クラウド・ピース≫。
雲が落ちてきて入る穴が、どこかにあるはずなのだが。

≪ワード・ピース≫。

1962年から1999年にかけて描かれている。
オノ・ヨーコの作品、「それがどうした」、という作品である。が、コンセプチュアル・アート、「それがどうした」を貫く。
コンセプチュアル・アート、謂わば、禅問答なんだ。

ンッ、何やら。

若い女性が二人いる。
白く長い台には、何かが乗っている。

木の器に水が入っている。
そのそれぞれに、人の名がついている。

≪We’re All Water≫。

このヘッドフォンで聴きながら、と。

これは、オサマ・ビン・ラディン。


これは、ジョージ・W・ブッシュ。

アドルフ・ヒットラーも。
器の水は、皆さま同じようである。
このような危ない人たちばかりでなく、アンディ・ウォーホル、ジョージア・オキーフ、三島由紀夫、土方巽などの名もあった。

≪ソプラノのためのヴォイス・ピース≫。

オノ・ヨーコ、今回展のためのパフォーマンス。

オノ・ヨーコ、80を幾つか超えているのだが。

閉館となり、木場へ戻るバス停に行くと、前に並ぶ50代半ばかという男二人ずれのひとりが話しかけてくる。「オノ・ヨーコの展覧会、面白かったですか?」、と。
「面白かったです。私は古くからのオノ・ヨーコファンですから」」、と応える。
その男、こう言う。
「私は、ポールのファンなんですが、オノ・ヨーコは悪者なんではないのですか。ビートルズを潰した悪い女では」、と言う。
ビートルズ以前、エルヴィス世代である私、ジョンもポールもよくは知らない。
が、ジョンとヨーコのパフォーマンス、、時代の心をつかむ。