TOKYO 見えない都市を見せる展

MOTの東京アートミーティング第Ⅵ回展、「TOKYO 見えない都市を見せる」、と謳う。

木場からバス、不便ではあるがここへはよく来る。

「”TOKYO”を読み解く10のキーワード」、このようなものだそうだ。
<1980年代、東京は世界的に注目される華やかな文化都市でした。サブカルチャーやポップカルチャーの豊かさにアートの文脈を交差、リミックスして新しい文化を生み出す東京の創造力がそこで一度花開いたのです>、と主催者は述べる。
その主催者は、東京都と、東京都現代美術館・アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)と、産経新聞社の3者。
まあ、いわばエスタブリッシュメントの3者、1980年代をこう捉える。
が、私の80年代は忙しかった。文化どころではなかった。週の半分以上は日を跨ぎ酒を飲んでいた。その殆どは仕事がらみ。夜毎、タクシーを捕まえるのが大変だった。だから、”文化を生み出す東京の創造力が花開いた”という80年代のこと、よくは知らない。

こういうことなんだ。

YMO、ロンドン公演の時の模様。

向こうに・・・

YMOの3人。

ンッ。

ンッ。

ンッ。
高橋幸宏の言葉、読めるといいが。

富士フィルムのキャンペーン広告撮影用人形。1980年。

YMOの3人、300人いるのかな。

揺蕩う。

高橋幸宏のタキシード。

坂本龍一のスーツ。
YMOの3人、すべて同じスーツである。
イエロー・マジック・オーケストラ、モンゴリアン・黄色人種を打ち出したんだ。世界に立ち向かう時に。
このスーツも、毛沢東、マオスーツのアレンジ。

横尾忠則の文字が見える。

こういうことなんだ。
記者会見の日、横尾は現れなかったそうだ。締め切りが迫っていた、ということだが。

YMOのこと、ほとんど知らない。

こういうことも。
でも、視覚的にはとても面白い。

これは・・・

こういうもの。

YMOウインターライヴ’81、新宿コマ劇場で催されたんだ。

YMOの3人、いずれもヴィジュアルを気にかけておられるが、中で最も気を入れているのは、細野晴臣であろう。
このように。

高橋幸宏デザインの「YMOシャツ」。
60年代の感覚から言えば、ダサいにもほどがあるセンスである。しかし、このセンスが80年代ではシュールでイケてるものであったらしい。
なんとも。