多摩美散歩(5) 学食。

その内に腹が減ってきた。アートテークの係の人に訊くと、この建物を出て左右どちらへ行っても食堂がある、と言う。
アートテークを出て左の方へ歩いて行った。
あった。イイオ食堂となっている。

しかし、イイオ食堂は閉まっていた。
営業時間は4時までと記されている。それを少し超えちゃっていた。
その横に、メディアセンターであろう建物の入口がある。中が見える。何かが展示されている。
腹が減っていたが、中へ入った。

こう記されている。
1900−2000、20世紀のアートシーンである。

廊下の壁面に、美術に限らず20世紀のさまざまな芸術の動き、流れ、変遷が貼りつけられている。
何か所か切りとる。

1900年代。
月や火星、アールヌーボー、ロートレック、・・・、・・・。

1910年代。
レアリズム、シュールレアリスム。中央下の男は、バスター・キートン。

1920年代。
中央上、「マンハッタンの100のガラス建造物」となっている。この頃、マンハッタンのいわゆる摩天楼が形造られたのであろう。
下、ヨーロッパではバウハウスか。

1950年代だったかな。
デュシャンと右はマグリット。

1960年代。
右上は、ふたりの女性に挟まれたアンディ・ウォーホル。左の男もウォーホルだ。
そのふたりのウォーホルが挟んでいるのはジミ・ヘンドリックス。

1980年代。
中央上、裸のジョン・レノンが服を着たオノ・ヨーコにしがみついている。
1980年12月8日、アニー・リーボヴィッツによって撮られたジョンとヨーコの最後の写真である。世に名高い。この日の夜、ジョン・レノンは銃撃を受け死んだ。40歳で。
下は、ジャン=ミッシェル・バスキアである。
バスキア、1988年8月12日、ヘロインの過剰摂取により死んだ。27歳で。
この夏前、今、ガッポガッポと金を儲けているZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイ社長の前澤友作が、ニューヨークのサザビーズで123億円で競り落としたのがバスキア。1980年代を象徴するスターである。前澤友作の行動に世間は驚いたが。
それにしても、ジョン・レノン、40歳。バスキア、27歳。60年代のジミ・ヘンドリックスも27歳。ウォーホルは58歳であるが、それでも早死に。
早死にしてこその天才(こんな言葉、あったかな)というのは、確かにそう。
それはそうだが、腹が減った。反対側へ歩く。

この建物に食堂があるようだ。

学食だ。

誰だったかLEDでこういう作品を創っている作家がいたな、と思う。思いだせないが。
ミニカレー、カレーにつくミニサラダ、それに味噌汁の食券を求める。3点締めて360円。学食だ。
私は、腹が減っていてもあまり食べない。というか、あまり食べられない。で、何でもミニとなる。

藝大の学食よりかは、ややきれいかな。

多摩美散歩、飯を食ったらそれでお終い。バス停の方へ戻る。
多摩美、多摩丘陵に建っている。文字通りの丘陵である。で、多摩美の建物、その多くは傾斜している。斜めになっているんだ。このように。

来る時に通った図書館の横を通りバス停へ。
図書館には灯が入っていた。
右上に、小さな白い月も見える。