愛と哀しみのボレロ。

『愛と哀しみのボレロ』、1981年の作品、30年余の時を経てデジタル・リマスター版として蘇えった。

1930年代から1981年まで約半世紀にまたがる物語。第二次世界大戦前夜からナチスの勃興、ヨーロッパ各国への侵攻、ユダヤ人狩り、独仏、独ソ戦をはじめとする第二次世界大戦、アメリカの参戦、連合国の勝利による戦後の状況、東西冷戦、と時代の糸は巻かれる。
舞台は、モスクワ、ベルリン、パリ、そしてニューヨーク。それぞれ2世代の物語が重層的に紡がれる。
1936年、モスクワ。何日か前に触れたボリショイのプリマを選ぶための選考が行われている。最後に敗れたバレリーナがいる。彼女からソ連、ロシアの物語は始まっていく。審査員の一人と結婚し、その息子が云々と。
1938年、ベルリン。コンサートホールで白皙の青年がピアノを弾く。弾き終わり万雷の拍手を受け退出する途中、ある男と握手する。ナチス総統、アドルフ・ヒトラー、と。
パリもニューヨークも含め、すべてモデルがいる。
モスクワの物語はルドルフ・ヌレエフ、ベルリンはヘルベルト・フォン・カラヤン、パリはエディット・ピアフ、ニューヨークはグレン・ミラー、と。
第二次世界大戦をはさみ、モスクワ、ベルリン、パリ、ニューヨークという世界を代表する町を舞台に、男と女、親子の物語が紡がれる。壮大なメロドラマ。

『愛と哀しみのボレロ』、監督:クロード・ルルーシュ。
音楽、振付、バレエ、と記されている名、震えがくるほどのビッグ・ネームである。
『シェルブールの雨傘』のミッシェル・ルグラン、『男と女』のフランシス・レイ、そしてあのモーリス・ベジャール振付の『ボレロ』を極めつけジョルジュ・ドンが踊る。
久しぶりに恵比寿ガーデンプレイス・シネマへ急いだ。

ラベル作曲、ベジャール振付の『ボレロ』、これzo
というダンサーは踊っている。男ばかりでなく、マイヤ・プリセツカヤ、シルビー・ギエムといった女性のダンサーも。いずれも時代に抜きんでた踊り手ばかり。しかし、ジョルジュ・ドンの『ボレロ』は格別だ。ジュルジュ・ドンの”ボレロ”、女性ダンサーよりも官能的である。とてもセクシャル。
バレエダンサーというもの、とてもセクシャルな存在である。セクシャルということ、異性ばかりじゃなく同性からもということが多い。ジョルジュ・ドンの場合も、もちろんそうであったようだ。ジョルジュ・ドン、1992年、エイズで死ぬ。享年45。
本作の監督、クロード・ルルーシュがジョルジュ・ドンのモデルとしたのは、ルドルフ・ヌレエフである。ルドルフ・ヌレエフ、冷戦時代の1961年、ヨーロッパ公演の途次、西側へ亡命する。
ルドルフ・ヌレエフほど、ヨーロッパ世界でカリスマ性を持っているダンサーはいない。別格である。いつかロンドンの本屋街で入った店は、バレエ、オペラに特化した店であった。その店の平積みで並んでいたのは、ヌレエフがらみの書。ヨーロッパ世界でのヌレエフの存在の大きさ、改めて感じた。
実はルドルフ・ヌレエフもエイズで死んでいる。1993年に。享年54。
何日か前、チャーリー・シーンがHIV感染を公表した。
今まで関係した女から脅されている、と。HIVを隠してセックスした、ということで。チャーリー・シーン、今まで約5000人の女とセックスした、という。驚くべき数である。しかし、その相手は女である。
しかし、男であれ女であれ、その虜としたルドルフ・ヌレエフには、何百万人ものヌレエフと関係を持ちたいという男がいた、という。ルドルフ・ヌレエフ自身も、若いダンサーへの思いがあったようだ。で、ヌレエフもエイズに。

モスクワやパリの物語。
ヌレエフがいる、ピアフがいる。

ベルリンやニューヨークの物語。
カラヤンがいる、グレン・ミラーがいる。

第二次世界大戦時、ユダヤ人狩り。ナチスドイツ、ユダヤ人をゲットウに送り込んだ。

東部戦線の独ソ戦、戦後の荒廃のさま。

時は流れる。1981年に。
パリ、エッフェル塔とセーヌ川を挟んだトロカデロ広場、ユニセフと赤十字社が共催のチャリティーショーが行われる。
トロカデロ広場には、赤く丸い舞台が設えられている。
ルドルフ・ヌレエフが乗り移ったジョルジュ・ドン、ベジャール振付の”ボレロ”を踊る。
ジョルジュ・ドンの『ボレロ』、15分に亘り。素晴らしい。