鳥獣戯画。

『源氏物語絵巻』、『伴大納言絵詞』、『地獄草紙』、・・・・・、日本にはさまざまな絵巻物がある。中で、誰でもが知っているという認知度ダントツの絵巻物は、これであろう。
兎と蛙が相撲を取り、兎が蛙にぶん投げられている、という場面がよく知られる鳥羽僧正の『鳥獣人物戯画』、通常は、『鳥獣戯画』。

夏前、5月下旬の東博前。

なるほど。

会期末も近い。
で、8時まで開場の金曜の夕刻に行った。

こういうものを持った若い男がいた。
会場の平成館へ入るまで60分。その後、お目当ての甲巻のところまでは、さらに110分。甲巻のところまで110分、ということではない。以前、東博の係員に訊いたことがある。館内に入ってからの時間である、と。だから、甲巻までは、トータル170分、3時間弱となる。8時までにはそこまで行かないじゃないか、ということとなる。以前訊いたところでは、その場合は時間を過ぎても、最後の人まで開けておく、とのことであった。
昔、五島美術館所蔵の『源氏物語絵巻』が5年か10年に一度公開されているころ(今は、毎年公開されている模様)、真冬、氷雨が降る中、2時間以上並んだことがある。しかし、今の私はそういうことはできない。寒い季節ではなくとも。

観るのは諦める。
栂尾の高山寺には、錦繍のころ明恵上人を訪ねたこともあるし。

本館の大階段の踊り場に、この看板がある。

本館2階の特別1室で、このような展示がもたれている。

ゆったりと鑑賞できる。撮影も許されている。
明治時代の山崎薫詮による模写などが展示されている。山崎薫詮、素晴らしい腕を持っている。

こういう特集である。

『鳥獣戯画』甲巻(模本)。
山崎薫詮(1817〜93)模写。紙本墨画。明治時代。
<兎や蛙、猿をはじめとする動物たちが、人間さながらに遊戯や儀礼を行なう甲巻。鳥獣戯画四巻中、最も知名度の高い巻。原本の成立は謎に包まれているが、宮廷絵所絵師、あるいは寺院に属する絵師によって描かれたとみられている>、と東博の説明書きにある。
初っ端、鳥羽僧正の『鳥獣戯画』、と記したが、鳥羽僧正とは限らないんだ。宮廷の絵師、お寺の絵師、さまざまな説があるようだ。

兎と蛙の賭弓の場面。

<供物の鹿と猪を受けとる僧侶姿の猿。ここから15紙の蛙の田楽シーンまでは、本来は甲巻の巻末、猿の法会の後に位置していた>、との東博の説明。

兎と蛙が、逃げる猿を追いかけている。

<相撲はもともと秋七月に行なわれる神事だった。兎の耳に噛みつく蛙。禁じ手である>、と東博。

<兎を投げ飛ばす蛙。両手を広げ、踏ん張る蛙の口からは気のようなものが>、と東博はコメント。

蛙の本尊を前にした猿の法会。

『鳥獣戯画』乙巻模本。
甲巻と同様、明治時代、山崎薫詮の模写。
<高山寺の朱印こそないものの、画面下部の欠失や虫損まで忠実に模写している>、と東博。

乙巻冒頭、馬の画像。
腕の立つ絵師である。

続いて、牛。
<角を突き合わせた左の牛には、墨線を白色の絵の具で消し、描き直した跡が認められる>、と東博。

『鳥獣戯画』丙巻模本。
山崎薫詮模写。
<近年の修理により、前半の人物戯画と後半の動物戯画が、もとは紙の裏表に描かれていたことが判明した>、そうだ。

<甲巻同様、丙巻でも、鹿は擬人化されず、乗り物としての位置づけである>、と東博。

『鳥獣戯画』丁巻模本。
<一見すると落書きとも悪戯書きともとれる丁巻の写し。ただ、迷いのない、素早い筆さばきで画面を構築するこの絵師の技量をあなどってはいけない。こうした速度ある筆を写すのは難しく、原本の絵師同様、この模本を写した山崎薫詮もただものではない>、と。
確かに、そう。山崎薫詮の力量も凄い。

<甲巻に描かれていた猿の法会のさらなるパロディ。こちらの本尊は、蛙とも何らかの虫ともとらえられる>、と東博。

『鳥獣戯画』、面白い絵巻である。
蛙 > 兎 > 猿その他、というような序列、力関係があるようにも思える。

『鳥獣戯画』、模本ではあるが、楽しませてもらった。