東博の桜(続き×2)。

庶民文化が花開いた江戸時代、浮世絵もその一翼。花のお江戸の桜木もさまざまに描かれた。

≪桜下の四代目市村竹之丞と二代目三條勘太郎≫。
藤川吉信(生没年不詳)筆 細判 漆絵 江戸時代・18世紀。
初めて聞く名、生没年も不詳であるが、この描線から見て初期の絵師だと思われる。

≪美人の花見≫。
喜多川歌麿(1753?〜1806)筆 大判 錦絵 2枚続 江戸時代・18世紀。
写りが悪いが、歌麿である。6人の美人に申しわけなし。

≪江都花十景・飛鳥山≫。
鳥居清長(1752〜1815)筆 小判 錦絵 江戸時代・18世紀。
天明期を代表する浮世絵師である鳥居清長、ひと月ほど前、「アートフェア東京2014」で触れた≪袖の巻≫の鳥居清長である。
1700万円の春画の名作≪袖の巻 十図≫、買ったのはどういう人なんだ、と思い訊くと、「日文研です」という答えが返ってきた清長である。
春画がらみで少し横道に入る。
東京六大学のトップ、歴代、男ばかり。女がなるとしたら、と考えたことがある。東大ではない、早稲田や慶應もない、明治や立教もないであろう。あるとすれば法政だな、と思っていた。何となく、法政だな、と。
何日か前、田中優子が法政の総長となった。
田中優子の専門は、江戸時代の文化である。
江戸の文化を縦横に切り裂いた『江戸百夢』、当然のことながら、”春画”にも一夜の夢を取っている。江戸学者である田中優子、春画の研究者でもある。詳しい。
東京生まれじゃなく東京へ出てきた者には、『江戸を歩く』が面白い。田中優子が先ず向かうのは、千住小塚原回向院なんだ。
そこから、江戸を歩きはじめる。次いでは吉原へ行って、さらに隅田川を下って、と江戸をタテヨコに歩く。江戸生まれじゃない田舎者には面白い。
田中優子の世界も面白いのであるが、東博の桜、浮世絵に描かれた桜に戻る。

≪花筏≫。
歌川豊国(1769〜1825)筆 間判 錦絵 2枚続 江戸時代・18世紀。
<歌川豊国は、・・・・・、美人画では鳥居清長、喜多川歌麿の、役者絵では勝川派の画風を取り入れて、庶民に人気の様式で描いた>、と説明にある。

≪桜の下山姥金太郎≫。
葛飾北斎(1760〜1848)筆 長判 摺物 江戸時代・18〜19世紀。
<葛飾北斎は、・・・・・、はじめ「春朗」と名乗っていた。のち江戸琳派の名である「宗理」を名乗り、独自の画風を確立し「北斎」「戴斗」「為一」と度々名前と画風を変えていった>、と東博の説明にある。

≪桜花に雉子≫。
これも葛飾北斎。長判 摺物。
それはともかく、葛飾北斎、その生涯に改号すること30回に及んでいる。この後も、「画狂人」「雷辰」「画狂老人」「卍」「魚仏」、と。
絶筆と言われる肉筆画≪富士越の龍図≫の落款は、「九十老人卍」。今、小布施にある。小さなものだが、素晴らしい。私の大好きな北斎である。

≪青楼花見略図≫。
歌川広重(1797〜1858)筆 扇面 藍摺 江戸時代・19世紀。

≪遊女道中図≫。
二代鳥居清元(1789〜?)筆 絹本着色 江戸時代・18世紀。

≪金龍山桜花見≫。
鳥文斎栄之(1756〜1829)筆 大判 錦絵 3枚続 江戸時代・18世紀。
”金龍山”、浅草の観音様・浅草寺である。

≪新吉原櫻之景色≫。
歌川豊国(1752〜1825)筆 大判 5枚続 江戸時代・19世紀。
<吉原では、大門からのびるメインストリート仲の町に、3月3日にあわせて咲くように桜が毎年植え込まれた。花が雲のように広がる大きな樹の下には山吹を添え、青竹の垣根をめぐらし、花魁たちはそこで妍を競った。桜の樹は花が散ると春の夢のように片づけられた>、と東博の説明にある。
花の吉原、わずかひと時の桜花を愛でていたんだ。

5枚続きの≪新吉原櫻之景色≫の1枚目と2枚目。

3枚目と4枚目。
わずか数日、ひと時のためにこれらの桜木は植えられたんだ。

≪新吉原櫻之景色≫の4枚目と5枚目。
花のお江戸、花の吉原のお花見だ。