ガブリエル・オロスコ展。

4月末、溜まっていた映画の連載を始めた。その後も溜まるので長くなった。終わったわけではないが、その頃以降の展覧会の模様もそのままとなっている。そちらの方を少し追いつくこととする。

4月末のMOT(東京都現代美術館)前。

ガブリエル・オロスコ、1962年メキシコ生まれの作家。ニューヨークのMOMAやロンドンのテート・モダーンなど世界の名だたる美術館で個展を開いている。日本ではMOTが初。

この展覧会、撮影が許されていた。
フラッシュを使わない、営利目的に使わない、などの条件の下。

その創作活動、ひとつの世界にとどまらない。
例えば、写真。
左の作品は・・・

≪私の手は私の心臓≫。
チバクローム。1991年の作。

小さなカメラを持って外へ出ることがある、と言う。
「空間の何かが不意に目にとまり、写真に撮る。それが私の介入の仕方です」、とガブリエル・オロスコは語る。

≪テーブルの上の砂≫。1992年。
「私にとっての写真とは、ある一瞬の風景や環境との対話にほかならない」、とも語る。
≪コモン・ドリーム≫。1996年。
「まったくの即興、このようにある瞬間に偶然出会った場面が重要なのです。その一瞬と対話する」、と作家。

≪島の中の島≫。1993年。
ニューヨーク、ハドソン川沿いのウエストサイドハイウェイでのこと、だそうだ。雨上がりのことで、水たまりができていた、と言う。9.11の前だ。後ろには世界貿易センターが見えていたそうだ。
そこに、「水たまりになった破片を同じように置きました。まさに風景の中に風景があるかのように」、とガブリエル・オロスコ。
タイトルは、「島の中の島」。
「木材の群れの周りを水たまりが囲んで、あたかも小さな島のように見えるからです」、とオロスコは語る。
≪La DS カーネリアン≫と≪ヌードル・フォール≫。
日常にある既成のものに手を加え、介入し、別のものに見たてる。ガブリエル・オロスコ、デビュー間もない1993年、シトロエンDSを変型させた作品をパリで発表し話題を呼んだ。
「行為としてはシンプルで、外科手術のように自動車を切断し、あらためて組みあわせた」、と作家は語る。
後ろの小さな点も見落としちゃいけない。「ヌードル・フォール」である。

これは、2013年作の「La DS カーネリアン」。
「物の記憶が凝縮される」、と作家。

このこと、「記憶の分解と再構築であるとともに、パースペクティブ、空間、スピード、動き、プロポーション、ダイナミクスを分解し、再構築することでもあります」、と作家・オロスコは語るのであるが、まさにそう。
そうだよ、そう。

カップ麺「どん兵衛」の右側のうどんが、滝のように見えるんだ。だから、≪ヌードル・フォール≫。

≪ベンチレーター≫。
<オロスコがインドを旅行していて面白いと思ったのは、どのホテルでも必ず、部屋の鍵と一緒にトイレットペーパーを渡されることでした。それをホテルの部屋に必ずあるベンチレーター(シーリングファン)の羽の上に乗せて遊んだことが、天井の作品の元になっています>、とMOTの解説。
インドのホテルには何度も泊まっているが、私はチェックインの時トイレットペーパーを渡された覚えはない。シーリングファンはお馴染みであるが。

≪コープレガドス≫。
等身大のノートである。
オロスコが持ち歩いている和紙のノート。自由に動かすことができる。

手前は丸石。
繰り返される変型。
左に見える作品は・・・

≪ブギ・フルッツテイ≫。2008年。
「サムライ・ツリー / 内なる連続 円の絵画」。
円を分割し、さらに分割し、と。
多くのデザイナーが影響を受けた。日本でも。おそらく、あの男も。

≪ピン=ポンド・テーブル≫。1998年。
<人体との関わりにおける時間軸と動作体系が云々>、と。
その後ろ・・・

さまざまなスポーツが好きなんだそうだ。
円を分割し、色を乗せ。

アリタリアのチケットにも。

ガブリエル・オロスコに関する書籍、図録の類い、数々ある。

小さな頃のガブリエル・オロスコである。