三陸沿岸紀行(27) 補遺。

明後日、あの大震災からちょうど4年半となる。しかし、その復興、復旧はまだまだである。長期の戦いである。
今、八戸から仙台まで、新幹線なら1時間20分で着く。その沿岸部を足かけ5日をかけて歩いた。だらだらと歩き、のそのそとした動きであるからこそ、そのことがよく解かる。

右上の八戸から久慈、宮古、釜石、大船渡、気仙沼、石巻、松島海岸を通り、左側の仙台まで、電車とバス9路線を乗り継いだ。
補遺というか、付けたしというか、その間書き洩らしたことを何点か記しておく。
宮古で乗ったタクシーの運転手が、こういうことを話していた。「今でも、夕方、田老の堤防の上には、何人もの人が並んで祈ってますよ」、と。
田老、三陸鉄道北リアス線の宮古から4つめの駅である。2011年3月11日のあの日、8.70m、8.90m、所によっては14.68mの津波に襲われた。多くの人が犠牲となった。そこで今でも、堤防の上で祈っている何人もの人たちがいる、という。まるで、天童荒太の『悼む人』そのままだ。このこと、書き洩らした。
「鉄道」という問題にも引っかかっている。
今回のコース、本来ならば、鉄道だけで歩けるところであった。それが、大震災で鉄道がなくなり、バスで振替えたりBRTなるものにしている。
JR東日本大船渡線とJR東日本気仙沼線は、線路敷を利用したBRTというバスを走らせている。JR東日本の資料には、BRTはあくまで仮復旧である、となっている。しかし、おそらく鉄道が復旧することはあるのか、はなはだ疑問に思っている。
地元のバス会社2社に代替輸送を依頼しているJR山田線にいたっては、JRが再び電車を走らせることはない。ハッキリ言って、採算が取れない。このこと、JR山田線に限ったことではないが。
しかし、鉄道、電車というもの、果たして無くしてもいいものか。バスに置き換えればいいって、簡単には言いきれない。郵便制度の問題と同じようなことを孕んでいるが、鉄道、電車というものは、その地域に安心を与えるものだから。
5年半前になる。
2010年1月、創刊60周年を迎えた「芸術新潮」が、当時気鋭の作家や学者連中68人に「日本遺産」を挙げさせた。ひとり5件以内で。私は、暇にまかせそれらの集計をし、ベスト10を選んだ。アナログ手法で。
1位は居酒屋で、同率の2位は富士山と諏訪大社御柱祭であった。ついでに、私自身の「日本遺産」ベスト5を考えた。
さんざん悩んだ末、1番は明日香村の田畑、2番は広島原爆資料館、3番は北斎の画業、4番はJRローカル線の駅、そして5番は梅干、とした。
私は、日本遺産4番目に「JRローカル線の駅」を挙げている。5年半前には、その理由も記しているが、私はどうもJRローカル線の駅やJRローカル線自体が好きなんだ。
だから、JR山田線のような問題は気にかかる。
10日少し前の「(14)三陸鉄道南リアス線」のところで、釜石から乗った車両が、三鉄南リアス線で大震災から唯一残った車両である、ということを記した。その折り、三鉄社員の奮闘物語もあるが、今日はフラフラに酔って帰ってきたので横道にはそれない、とも記した。
あの大震災と三陸鉄道について書かれた書、何冊かあるが、中で「これ」ってものは品川雅彦著『三陸鉄道情熱復活物語 笑顔をつなぐ、ずっと・・』(2014年、三省堂刊)である。三鉄からの依頼を受けて書かれたものなので、幾分かは割り引いて読まなければならないかとは思うが、社長以下三鉄社員の行動力、鉄道愛には引きこまれる。
で、三陸鉄道南リアス線でただ一両だけ残った車両のことである。三鉄南リアス線にあった他の3両は、津波に浸かり、結局廃車となった。
4年半前のあの日、あの時刻、その一両の電車は、三陸鉄道南リアス線の吉浜駅と唐丹駅の間の鍬台トンネルの中を走っていた。全長3906メートルの鍬台トンネルの中間地点あたりを。
大きな揺れがきた。運転手は急ブレーキをかけた。脱線はしなかった。運転手は、三鉄本部に大丈夫との連絡を入れたが、その後の連絡はとれなくなった。その時、電車には2人の乗客が乗っていた。この乗っているお客がただの2人、ということにも泣かされる。それが、三陸沿岸の現実であるとはいえ。
休石という名の運転手、その2人のお客を無事に安全な所に誘導した後、19時47分、南リアス線運行本部へたどり着く。歩いたり通りかかる車に乗せてもらったりしながら。鉄道マン、三鉄マンだ。
三鉄社員、これぞ鉄道マンといった人だらけであるが、鍬台トンネルの中に停車した「奇跡の車両」を、あの日・3月11日から6月24日に救出されるまでの3か月半、1週間に一度の割で、メンテナンスに通っていた社員もいる。ヘルメットにヘッドランプをつけ、ドライバ^−、スパナに何枚かの雑巾を持って。
車両は、トンネルのほぼ中間点で停まっている。吹き抜ける風はない。車両内にはうっすらとカビが生える。で、車両内部、ボディの外側、運転台、エンジン、それらを順に雑巾で乾拭きする。毎週。
鉄道愛がなければ、という物語である。
そこが、効率第一、採算性がどう、というJRとは異なる。
このこと、都会地では解からない。東海道新幹線も山手線も、べらぼうに稼いでいる線なんだから。しかし、地方へ行くとそのことは理解できる。
三陸沿岸は重機だらけであった。また、あちこちで嵩上げをしている。4年半が経ってまだこの状態か、と思う。ハッキリ言って、まだまだこれからである。復旧、復興には、まだまだ時間がかかる。
大震災のこと、被災地のこと、忘れがちになるが忘れちゃいけない。
被災地へ行くことが必要だ。
電車やバスやタクシーに乗ることが必要だ。復興屋台村や町中の食堂で、飯を食ったり酒を飲んだりすることが必要だ。私のように安いものを食っている者にも、来てくれてありがたい、と言って喜んでくれる。多くの日本人、三陸沿岸へ行くことが必要だ。行ってもらいたい。
実は、ずっと、引っかかっていることがある。
3年半前にも先日も、三陸沿岸には行っているが、福島や茨城には行っていない。福島第一原発がらみの地には。三陸に較べ、近場であるにもかかわらず。
この地、津波に加え原発汚染の問題がある。より厳しいんだ。
調べると、常磐線、竜田まではいっている。その先は、原発がらみで不通となっているが。
竜田、つい先日、5日に避難指示解除となった楢葉町である。
その内、行かねばならない。