三陸沿岸紀行(26) 仙台。

松島には2時間ばかりいた。
1時44分の電車で仙台へ行く。
松島海岸から6、7分で東塩釜。東塩釜から本塩釜までは、塩釜の港に沿って電車は走る。

東塩釜を出てすぐの車窓から見た塩釜港。

東塩釜と本塩釜の間。
あの日、2011年3月11日、ここにも3.30m、3.73mの津波が襲っている。
ところで司馬遼太郎は、昭和60年2月末、仙台から多賀城を経て塩釜をめざしている。
初っ端が面白い。
<「塩竃」
と表記する。竈の字は、ややこしい。
穴がんむりに土。その下に、ガマガエルをあらわす○(この字、打てず)の字をすえる。竈とはカマド(ヘッツイ)のことである。土やレンガなどで・・・・・。この稿では、いいかげんなほうの「釜」で表記したい。・・・・・。本来、かなで「しほがま」と表記することがもっとも古格ではあるまいか。・・・・・、はじめにしほがまという大和言葉があって、のちに漢字があてられたにすぎない>、と司馬遼太郎は記す。
「塩釜」、別に「塩竃」を使わなくてもいいんだ。

塩竃、いや塩釜から30分ほどで仙台に着く。
駅の中、でっかい七夕飾りが下がっている。
インフォメーションセンターへ行き、新幹線の改札に一番近いコインロッカーの場所と、ここから最も近くて美味い牛たん屋の場所を訊ねる。
新幹線の改札に一番近いロッカーはここ、最も近い牛たん屋は駅ビルの3階のここ、とエキナカ美食空間「牛たん通り」のパンフをくれる。牛たん通りには、いずれも仙台では知られた店であろう4店が出ている。
上質の肉、伝統の味、厚さが自慢、という利久へ入った。そこそこ広い店内、満席。「カウンターでもいいでしょうか」とのことに、「もちろん、結構です」と応える。それがよかった。

座った目の前、次々に牛たんを焼いている模様が見える。炭火の上の網の上で、右から左へといった感じで牛たんが焼かれていく。

最もグレードの高い「極定食」を頼んだ。
たまにではあるが、牛たんを食べることがある。それらの牛たん屋に較べ、利久の牛たんはとても厚い。テールスープも、異なる。
私がたまに食べる牛たん屋のテールスープには、小指の先ほどのテールがひとつ入っているだけである。が、利久のテールスープには、親指の先ほどのテールがふたつも入っていた。ただ、ご飯は白いご飯であった。麦飯か白飯か、選べるようになっていたのかもしれない。
いずれにしろ、仙台、利久の極定食、美味かった。

実は、仙台では宮城県美術館と仙台市博物館を廻りたい、と思っていた。しかし、時間は押している。どちらか1館。佐藤忠良の記念館が併設されている宮城県美術館にする。
駅前からタクシーで宮城県美術館へ向かう。駅前の青葉通を。
ところが、それまでの三陸の町々と異なり、仙台は大都市。渋滞で車がなかなか進まない。宮城県美術館まで、思いの外時間を食った。
上の写真は、宮城県美術館入口への長いアプローチ。
ところで、宮城県美術館、宮城県の県立美術館であり、宮城県の美術館である。しかし、仙台という町を考えると、宮城県美術館、東北の中核美術館としての役割も併せ持つ。
私が訪れた8月初め、本館の常設展示は、「日本の近現代美術」として、高橋由一、岸田劉生、萬鉄五郎、梅原龍三郎、安井曽太郎、藤田嗣治から、靉光、林武、鳥海青児、斎藤義重、さらに、宇佐美圭司、荒川修作、三木富雄、といった作家の作品が並んでいた。
特別展示として、「クレーとカンディンスキー:抽象のめざめ/色彩のめざめ」というものもあった。
東北の雄、仙台の矜持を十分に保っている。

本館をざっと観たあと、佐藤忠良記念館へ。
左は本館、右は湾曲した佐藤忠良記念館。

佐藤忠良記念館への廊下から。
室内はカメラは許されていないが、廊下は大丈夫、許されている。
廊下から佐藤忠良展示室を見る。
佐藤忠良の作品、記念館の4つの展示室に7〜80点展示されている。
なお、廊下にある頭部は、マリノ・マリーニの作品。

佐藤忠良記念館の廊下から、本館を挟んだアリスの庭を見る。
真ん中にトラのようなものが見える。その向こうには何かの塊りが、手前にもなにやらふたつの彫像が見える。

下へ降りる。
フェルナンド・ボテロ≪猫≫。
トラじゃなく、ネコだった。ずいぶん大きなネコだ。

掛井五郎≪ベエが行く≫。
ベエって人間なんだ。

柳原義達≪道標・鴉≫。
柳原義達、懐かしい名だ。

本館と佐藤忠良記念館に挟まれたアリスの庭を、反対側から見る。
左の本館側の外壁は直線、右側の佐藤忠良記念館のガラスの外壁は湾曲している。
大きなウサギがいる。

バリー・フラナガン≪野兎と鉄兜≫。

プレートを見るまで、佐藤忠良の作だとは思わなかった。
佐藤忠良≪ジャコビン≫。

近づく。
「ジャコビン」、ハトの一種だそうだ。

佐藤忠良≪マント≫。
1968年の作。

佐藤忠良≪若い女≫。
1971年の作。

佐藤忠良≪カンカン帽≫。
1975年の作。
宮城県美術館の入口近くにある。

近づく。
佐藤忠良だ。

まさに、佐藤忠良。

5時で閉館。駅前へ戻る。
小さな七夕の笹飾りがある。日本全国どこの駅前商店街にも飾られるような、ささやかな七夕飾りである。
2日後の6日からは、仙台七夕で大きな青竹の七夕飾りが飾られる、と言うのに。その対比が面白い。
それより、この写真の前方、歩道橋が見える。
仙台駅前の歩道橋である。
司馬遼太郎、『街道をゆく26 仙台・石巻』の中、仙台について記している中で、こう記している。
<この大構造があるために、仙台駅の駅前の空間は、世界のどの都市にもない造形的なうつくしさがある>、と。
どこがーって思う。世界のどの都市にもないって、司馬遼太郎、どこを見ているんだって。
司馬遼太郎、仙台で触れているのは、魯迅であり、東北大学であり、何より政宗である。
<この地の近世の原形は、伊達政宗がつくったとしかおもえない。それほど政宗の存在が大きく、その死後、遺臣たちが祖業を完成した。「あとは、遊んでいたのでしょうか」・・・・・。もしそのあと遊んでいたとすれば、表高六十二万石の昼寝というべきで、これほど雄大な寝姿はない>、と司馬遼太郎。
<仙台藩はそれほど沃土だった>、という記述も出てくる。
仙台では、私は牛たん屋へ行き、宮城県美術館へ行ったのみ。司馬遼太郎が記すことごととの接点はなかった。

北への新幹線、青森へ行く東北新幹線と秋田への秋田新幹線が、盛岡まで繋がっているものがある。
向こうのホームに入ってきたこれもそう。
ホームの売店で、河北新報の夕刊と缶ビールを買い、車中の人となる。
上野まで1時間半。