三陸沿岸紀行(19) 気仙沼。

JR大船渡線BRT、陸前高田を離れ気仙沼への中間あたり。

長部と鹿折唐桑の間、大理石海岸の近くか。

気仙沼へ着く。
小さなリュックをロッカーへ預け、タクシーで港へ行く。
まず、少し遅い昼飯を食おう。気仙沼の復興屋台村で。

間もなく、車の窓にこういう建物が現われる。

ここにも。
3年半前から較べればはるかに少ない。しかし、今でも、という思いしきり。

気仙沼港、神明崎の対岸、柏崎、5.39mの津波が襲ったあたりに、復興屋台村・気仙沼横丁はある。

復興屋台村・気仙沼横丁に着く。
3年半前、ここへ来た時には夜であった。暗闇の中、復興屋台村の灯かりが輝いていた。

復興支援室、とある。
<忘れない、・・・・・、・・・・・、・・・・・>、と記されている。
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3年半前には、この店に入った。「男子厨房 海の家」に。民宿をやっていたが流された、という3人の男が力を合わせやっていた店であった。
しかし、閉まっていた。

気仙沼横丁を紹介したパンフの裏に、このようなものがある。
「横丁すごろく」。20ばかりの店が並んでいる。
「男子厨房 海の家」は、上の列の右から4番目。ここが閉まっていたので、その右隣りの「鮮味定食」という店に入る。
昼時は過ぎている。客は誰もいなかった。

カウンターの中の女将に、「男子厨房 海の家」のことを訊いた。
3人でやっていたのだが、ひとりは民宿を再開し、もうひとりは店をやめ復興関係の運転手になったようだ、とのことであった。今は、残った人がひとりでやっているが、夜のみ店を開き昼はやっていない、とのこと。3年半、過ぎた時を考える。
刺身定食を頼む。

税込み1000円の刺身定食、安い上に、とても美味かった。

その後、すぐ近くの港へ向かう。
やはり、デカイ車が通りすぎる。

港の方へ。

工事をしている。

奥の方でも。

湾内には、多くの船が泊まっているが。

こういうトイレがあった。

鮮味定食の店を出る時、「暫らくしたらタクシーを呼んでください」、と言ったのに対し、「店はこれで閉めますが、暫らく後片づけをしていますので、戻ってきたら声をかけてください。その時に電話しタクシーを呼びますから」、と鮮味定食の女主人は言う。
確かに、その方が理に叶っている。港の方から戻ってからタクシーを呼んでもらう。
帰り際、鮮味定食の女主人、こういうことを言っていた。
「この復興屋台村・気仙沼横丁、来年の10月で閉鎖されるんです」、と。来年の10月、復興屋台村・気仙沼横丁が開かれて満5年となるんだ。
気仙沼市、満5年で一応の決着を、と考えているようだ。

しかし、駅へ戻るタクシーの窓からは、こういうものも見える。
町の光景、どこか歪んでいる。

こういうものも。
あの日、2011年3月11日から4年半経った今でも。



「早く引き下げろ」、と私が記してからでも10日以上となる。今日、やっとオリンピック、パラリンピックのエンブレムが白紙撤回された。
遅い。
佐野研二郎デザインのエンブレムが模倣であるかどうか、この判断は難しい。しかし、彼の作品にあまりにも多くの模倣、流用、パクリの疑惑がありすぎる。佐野研二郎自身が認めているものだけでも2件。脇が甘い、という批判があるが、佐野研二郎、あまりにも周りの世界をバカにしていたのだろう、と思わざるを得ない。
佐野研二郎、思いきりが悪い。
デザインの世界も含め、創作の世界、模倣はつきものである。模倣から次の展開が生まれる、と言ってもいい。
約半世紀前、1964年のブリジストン美術館ホールでのことごとを思いだす。
当時、気鋭の美術評論家・東野芳明が新しいアーティスト7人を選び、「ヤングセブン展」を開催、そのシンポジュウムをブリジストンのホールで開いた。
ヤングセブン、荒川修作、岡本信次郎、菊畑茂久馬、工藤哲己、立石紘一、中西夏之、三木富雄の7人。東野芳明選定のヤングセブンに選ばれなかった篠原有司男・ギューちゃんは、観客席にいた。
突然、ギューちゃんが叫んだ。
「芸術は、模倣だ。イミテーション・アートだ」、と。ギューちゃんn自身の作品・『ラウシェンバーグからの手紙』を掲げ。
当時絶大な力を持っていたロバート・ラウシェンバーグからギューちゃんへ来た手紙だ、と。「イミテーション・アート」だと。
創作、イミテーション・模倣から始まる。どのような人でも。デザインのい世界においても。
佐野研二郎、、その点、思いきりが悪い。ジタバタ繕えば繕うほど、次々に破綻する。引くタイミング、遅きに失した。今後、賠償問題が浮上する。
佐野研二郎、ばかりじゃなく、組織委員会及びJOCの責任が問われて然るべきである。最終的には、国民の税金で始末をつけることになろう。
組織委員会の事務総長・武藤敏郎、こう言った。「国民の皆さまにご心配をおかけいたしまして・・・・・」、と。
国民は、心配などしていない。不愉快に思っているんだ。
この問題、日本の信用を著しく落した。
それより、組織委員会やJOC(日本オリンピック委員会)、JSC(日本スポーツ振興センター)の責任はどうなんだ、と問いたい。
一連の選定作業に関わった組織委員会の専務理事・武藤敏郎やJOC会長の竹田恒和は、責任を取るべきじゃないか。引っ込み思案ではあるが、皆さん、まずいなこれは、と思っているのだから。エンブレムの選定、博報堂が仕切っていた、と思わざるを得ない。審査委員の構成を見れば、それは自ずから、と言える。
それよりも、どのメディアも触れない問題を提起したい。
今週末、インドネシアの高速鉄道がどのシステムを採用するのか、という結論が出る。
インドネシアの首都・ジャカルタからバンドンまでの140キロ。どこが受注するか、日本と中国が鍔迫り合いを続けている。
これに影響を及ぼす、と考える。
日本の信用度は、著しく落ちた。
インドネシアの高速鉄道、短期的には5000億円強であるが、今後のことに大きな影響を及ぼす。
今後、タイ、インド、マレーシア、そしてアメリカでも。
今回のエンブレム問題、単なるそれに留まらない。日本の信用力の問題となる。
インドネシアでの受注競争、中国に敗れるんじゃないか。