ヨコトリ2017(3) 空白を訪ねる。

2011年3月11日の東日本大震災の後、多くの人がボランティアで被災地に行った。元気な若い人が多かった。
1988年東京生まれの瀬尾夏美という画家であり作家でもある人も、ボランティアで被災地に入ったそうだ。経歴を見ると東京藝大大学院を出ているので、この時はまだ学生であったのかもしれない。陸前高田へ入ったようだ。そして、2012年からは陸前高田へ居を移したそうだ。2015年まで。
陸前高田、2011年3月11日のあの日、1850余人の死者、行方不明者を数えた。この数、陸前高田市民の実に8%にあたる。全市民の12人に1人が亡くなった。
瀬尾夏美、そこでさまざま多くの人に出会う。8%を逃れ得た人たちに。それらの人たち、言葉では表現できない多くの思いを抱いている。
それらの人たちの言葉や思いを、絵と言葉で記録し伝えよう、と考えたようだ。

「空白を訪ねる」、まさにそう。
陸前高田へ行きたいと思いながらも、ボランティアの力仕事など何もできない私、やっと大震災の翌年2012年1月、津波で流された大船渡の盛から、1日2便の気仙沼へのバスの車窓から陸前高田の街を見た。
何もなかった。すべて津波で流されていた。まさに「空白」であった。
瀬尾夏美、その空白から物語を紡ぎだす。

このような。
鉛筆、色鉛筆、水彩絵の具、アクリル絵の具で紙やカンヴァスに描き、テキスト(文章)をつける。

今回のヨコトリの中では最もシンプル、プレーンな展示である。

「1」の「まちは消えてしまった」から「20」まで。

「1」、ここから始まる。

「2」の「助けようとした人たちは」から「7」の「ここがぼくの家」まで。

瀬尾夏美、陸前高田の人たちの思いを描き、記す。

下は、「波のした、土のうえ」。

左の絵は、「あたらしいまち」。

右上を拡大する。

今年、2017年にアクリル絵の具で描かれた陸前高田。
嵩上げ工事はあらかた終わっているようだ。
陸前高田へは2度行った。
1度目は大震災の翌年1月、津波で流された大船渡のいわば代役を務めていた盛から気仙沼へのバスの中から。
陸前高田の街、何もかも無くなっていた。がれきの向こうに奇跡の一本松があった。
2度目の陸前高田は、一昨年、2015年の夏。八戸から久慈、宮古、釜石、大船渡、気仙沼、石巻と三陸沿岸を巡っていた時。もちろんボランティアなどではなく、復興屋台村のあるところではそこで飲み食いするという旅。
その時の陸前高田、白くて長いベルトコンベアが、膨大な数量になるであろう土を運んでいた。人工的な高台を作る嵩上げ工事の真っ最中であった。
今は、それも終わったようだ。
しかし、それもまた・・・

瀬尾夏美、陸前高田で会った人の話として、こう記す。