3.11から4年、文化財の再生。

昨日、突然パソコンが作動しなくなった。入力もできない。ブログも中途半端なものとなった。尻切れとんぼ。原因は解からない。シャクなことだが、そのままとした。
今日、がちゃがちゃとやっていたら、入力ができるようになった。昨日はできなかったメールも可能となった。どういうことだかは解からない。
とりあえず、尻切れとんぼとなっていた昨日のブログの後半部分を入力した。ナンじゃこれ、と思われていたお方、昨日のブログをご覧いただきたい。


で、今日。
3.11から4年後の今日である。復興、再生に関する報道が多い。
再生って、それぞれの人生を再生するってことだろう。具体的には、物の再生、場所の再生、職の再生、・・・・・。
文化財の再生もある。

ひと月近く前、東博正門前にこの看板が。
東日本大震災で被災した文化財の、再生への取組みをテーマにした特別展である。

大津波に飲みこまれた文化財、海底のヘドロ、生活排水に含まれる様々な雑菌、海水に含まれる塩分などが原因となり、劣化が急速に進む。そのため、「安定化処理」が必要となる。
この赤っぽいところが陸前高田である。
東博は、陸前高田市立博物館などと協力し、文化財の安定化処理や修理を行なってきた、という。
陸前高田には、思い入れがある。
大震災から1年近く経った2012年初め、陸前高田へ行った。正確に言えば、通った。
2012年1月22日午後4時過ぎ、大船渡から気仙沼へ向うバスの中から陸前高田の町を見た。陸前高田の中心部、完全に壊滅していた。バスが走るにつれ、あの「奇跡の一本松」が右に左に現われた。その模様、3年前のブログに記している。

東博本館前に、これが置いてある。
小さな船、「かもめ」と読みとれる。

陸前高田高校海洋システム科の実習船なんだ。
あの大震災の後、2年間も太平洋を漂いアメリカへ辿りついた、という。

東博本館を入った正面の大階段。

大階段の踊り場には、このようなものが。
リードオルガンである。

こういう経緯を持つ。

遥かな昔、アメリカから贈られた「青い目の人形」。
<気仙小学校から流出した金庫の中から泥にまみれた状態で見つかりました。顕微鏡を覗きながら砂一つひとつをピンセットで取り除いた後、アルコールで湿らせた布で丁寧に汚れを拭き取りました>、との説明がある。

災害発生時に行なう文化財の救出に関する活動全般を、文化財レスキューと呼んでいる、という。
その文化財レスキュー、3段階に分かれる。
第1段階は、救出だ。上の写真は、自衛隊による文化財救出活動。

第2段階は、安定化処理。
例えばこれ。昆虫標本の修復作業。これはクワガタであろうが、硬いものだからまだいい。が、チョウやガの修復の模様も展示されていた。柔らかい筆を使い、時間をかけた作業を続けていく。
それほどまでに、と思うほど。

吉田家文書「定留」の再生。
吉田家は、仙台藩気仙郡の24カ村を統括していた家だそうだ。「定留」は、その吉田家の執務日記。
その貴重な文献が大津波にのまれた。左上の状態となった。それを、右下のような状態に再生した。
ただただ驚く。


一昨日、メルケルが来て、昨日には帰った。
メルケル、今やドイツの首相という範疇にはとらわれない。EU、ヨーロッパのドン、女帝である。キャメロンやオランドを従え、プーチンと真正面からタイマンを張れるのは、メルケルしかいない。
そのメルケル、4年前の東日本大震災時の福島第一原発の事故を見て、原発との決別をすぐさま決断した。
メルケル、70年前の戦争の教訓も示唆している。
2時間余に亘りメルケルと話し合った安倍晋三、少しは学んだかな。
そうであればいいが。