一本松(続き×4)。

陸前高田の一本松、どのぐらいの人が、どれぐらいの写真を撮ったのだろうか。一本松の写真、印刷物や電波やネットの世界にどれぐらい発表されてきたのだろうか。数えきれない数に違いない。
枝は、先の方に少し残るのみ。さほど大きな木ではないが、さして小さな木でもない。ある程度離れた所からでも確認できる。心もち湾曲した幹の線が、チャームポイントと言えば、そうも言えるシンプルな樹姿である。
大津波に襲われたすぐ後、1本だけが残った一本松。満月の夜の一本松。ライトアップされた一本松。・・・・・。多くの写真を見た。
その中で、今、最も心に残っているのは、これである。『復刊 アサヒグラフ』の「東北が泣いた一年 2011.3.11〜2012.2」に掲載されている一枚。

キャプションにこうある。”吹雪に耐える「奇跡の一本松」(2012年1月31日)”、と。
右ページには、昨年の11月に福島の相馬市を訪れた、ブータンの若い国王夫妻の写真がある。このお二人、被災地のみならず日本中を癒してくれたな。

吹雪の中の一本松、何とも言えぬ趣きがある。
根元の方には、人が一人歩いている。傘もささず歩を進めているように見える。何かを考えているに違いない。とてもいい写真だ。
吉本隆明が死んだ。
吉本隆明、権威、コンサバ、既成概念と対峙した。戦争を知る思想家として当然だ。カウンター・パワーの側に身を置いた。いや、引っぱった。
しかし、そのカウンター・パワーが正義、正統を標榜し出す時には、そのまたカウンター・パワーとなった。大震災後の吉本隆明の原発を巡る発言は、その一典型。
昨年3月11日、大震災が起きた。福島第一原発も大津波に襲われた。電源が切れ、原子炉、ついにはメルトダウンに至った。吉本隆明の東工大の後輩である時の首相・菅直人は、脱原発に舵を切った。世論、国民の過半も、脱原発、さらには反原発に傾いていった。
脱原発の主張、経済発展、国の維持のためには原発は必要、という既成概念への反発、カウンターだ。”正義の味方”とも思われる。
しかし、吉本隆明、その”正義の味方”・カウンター・パワーに、カウンターを浴びせる。
「人類が積み上げてきた科学の成果を、一度の事故で放棄していいのか」、と。
吉本隆明、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない、と言う。それは、人類をやめろ、というのと同じだ、とも。
だから、危険な場所まで科学を発達させたことを、人類の知恵が生み出した原罪と考えて、お金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない、と言う。
これらの言葉、福島第一原発のメルトダウンにより醸成された”脱原発”という考えが、正義であり、正統であるとの認識が定着しつつある時、発せられたカウンターだ。
吉本隆明の言うことが正しいのかどうか、的を射ているのかどうか、私にはよくは解からない。判断がつかないんだ。
でも、カウンターにカウンターを合わせる感覚、凄い男にしかできない。
そういう男が、今日死んだ。