やまとめぐり(6) 橿原神宮(続き)。


外拝殿から見る内拝殿では儀式が続いている。
先ほどひとりの神職が入っていった内拝殿の後ろの幣殿の千木が見える。その奥に本殿があるが、さまざまな儀式は幣殿で行われる模様。

外拝殿の中には白い衣装の神職があちこちにいる。若い人が多く見られる。中には、内拝殿の様子を見ながらメモを取っている若い神職もいる。彼らは見学者といったところであろう。
外拝殿の後ろの方に、若い神職とは明らかに異なる年嵩の神職がいた。
その人に尋ねた。「これはどういう儀式を行っているのでしょうか?」、と。親切に教えてくれた。
{今年は神武天皇がお亡くなりになってから2600年なんです。その大祭は4月に行ったのですが、今日は全国からの若い神職の有志が集まっているのです。だいたい40歳までの神職の有志ですが」、と。「お国の安寧を祈願しているのです」、とも。
「毎年行っているのですか?」、と訊いた。「神武天皇祭は毎年行っておりますが、今年は2600年なんです。神武天皇が崩御されてからですね。節目の年なんです」、と答える。そして、「次の節目は2700年祭です。つまり、100年に一度の年なんです」、と。
驚いた。
「じゃあ、私は100年に一度の場にいるということなんでしょうか?」、と訊いた。
その年嵩の神職はこう答えた。
「そうです」、と。
お礼を言った。たまたまではあるが、凄い時に橿原神宮へ行ったんだ。
暫らくの間、内拝殿の模様を見ていた。

と、どのぐらいの時間が経ったころであろうか、衛視に先導されて内拝殿から神職が出てきた。

神職の列、外拝殿に入ってくる。
次々と。

このような光景、初めて見る。

外拝殿の中を通りすぎる。

何と言えばいいのか、この光景。
ただただその中に浸った。

次々と南神門に向かい通りすぎていく神職の列、100名を下らなかった。

儀式に参加した神職が通りすぎた後の外拝殿、年若い神職が。

彼ら、手際よく机などを運び、常の空間を作っていく。

外拝殿の近くに趣きのある建物がある。
土間殿。雨のみを防ぐのみ。とてもシンプル。

その先には北神門。
唐破風造の平唐門である。

北神門を通り、北参道の方へ向かう人もいる。

北神門にこういうポスターが貼ってあった。
<日本建国の地 橿原>。

3回に亘る講演会のポスターも。
<神武天皇のご生涯をたどる講演会>、講師は皇學館大學教授。
さもありなん。

外拝殿の斎庭にこのようなものがあった。
<神武天皇二千六百年大祭 特別奉賛者御芳名>、とある。
6段に亘り、奉賛、寄付をした人の名が数多く記されている。
<金壱千萬圓以上>、という人が5人いる。次いで500万円以上、300万円以上、・・・、・・・、と続く。1000万円以上寄付をした人の気持ち、何となしに分かるような気もする。が、分からぬような気持ちも。

橿原神宮、外拝殿の斎庭、人がいなくなった。見えているのは、紫の袴の神職ひとりのみ。
すぐ後ろに畝傍山が見える。
橿原神宮、大和国、畝傍山東南山麓の地に造られた。


参院選、自公与党の大勝。
自公及びおおさか維新、改憲発議の2/3の議席を取った。
野党、安倍晋三の「気をつけよう、甘い言葉と民進党」のフレーズに敗れた。
迫力のない岡田克也は、身を引くべきであろう。