オホーツクふらふら行(7) 砕氷船おーろら。
オホーツクに流氷が来る「流氷初日」と言われる日は、大まかに言って1月中旬。氷がなくなる「海明け」は4月初めである。
で、網走の砕氷船おーろらは、1月下旬から4月上旬まで運行されている。特に2月には1日5便運航され、さらに金土日にはその日の状況によって、サンセットクルーズが組まれている。
2月28日、斜里から網走に戻った私はギリギリ間に会うⅠ5時30分発の第5便の予約を入れていたが、網走港に着くとサンセットクルーズも出るということなので、そちらに変更した。
オホーツク沿岸、流氷が届く最南端である。
流氷観光砕氷船おーろら、491トン、定員400人、日本の南極観測船「しらせ」のミニチュア版である。
船自らの重さで氷を割っていく。
桟橋を離れる。
デッキ上は、やはり寒い。
私は暫らくして客室に入った。
大きな帽子岩の横を抜ける。
この灯台を出ると、港内から外洋へ。
オホーツクの海。
前方右上に黒く見えるものがある。種は分からないが、案外大きな鳥であった。
少し進むと・・・
だんだん流氷帯に入ってきたようだ。
私は時々客室から出ては、展望デッキや両側のデッキから海表面を眺めていた。
長く白い航跡を引いて進む。
時折りデッキに出るが、寒く冷たい。
すぐに部屋の中へ入っていた。
部屋の中から写真を撮ると、窓ガラスに電気が写りこんでしまうのだが。
これも。
既出の『オホーツク街道』の中で司馬遼太郎は、流氷についてこう記している。
<黒龍江が、オホーツク海にそそいでいる。その水の量が多すぎるのと、オホーツク海が陸地や列島でかこまれていわば槽状をなしているため、淡水がたえず海水の上層をなしている。そのうちに上層の淡水が凍って、オホーツク名物の流氷がつくられるのである。いわば黒龍江は、流氷製造にとっては、重要な装置である>、と。
そして、<この川について、すこしふれたい。ロシア語ではアムールというが、・・・>、と続き、ロシア人、中国人(漢民族)、靺鞨(まっかつ)、女真、モンゴル人、さらには金、元と歴史物語となっていく。
司馬遼太郎が冬のオホーツクを訪れた1992年には、砕氷船おーろらは既に運航していたはずであるが、砕氷船おーろらについての記載はない。
司馬遼である。
私は、氷を見ている。
部屋の中で温まっては、ほんの短時間デッキに出て。
15年前に乗った砕氷船おーろらに較べ、船の揺れが少なく感じる。
15年前のおーろらは、もっとガンガンというかがくんとしたような覚えがある。
15年前に比べ、氷の厚みが少ない。
砕氷船おーろらの最大砕氷能力は、約80センチメートルである。しかし、この日のおーろらは、すいすいと進んでいく。少し後退しがくんと氷に乗り上げたのは、一度だけであった。
流氷の海のサンセットクルーズ・・・
美しい。
お客は30人ほどであった。定員400人の船なんだが。
暫らく前から港に向けて帰っている。
港が近くなった。
小さな灯台を過ぎれば網走港。
約1時間ばかりの流氷クルーズであった。
網走港のクルーズ船の発着場、道の駅でもある。のろのろとしている私が駅へのバスをと思っている内に、駅へのバスは出て行ってしまったらしい。
道の駅の案内所でタクシーを呼んでもらう。寒いので扉の中で待っててください。運転手が呼びに来ますから、と言われた通りにしていた。ほどなくしてタクシーは来た。ホテルへ帰る途中、コンビニで停めてもらい道新の夕刊とウイスキーのポケットびんを買う。
その日、2月28日の道新夕刊一面。
ニューヨークの株式市場、ダウは過去最大の下げ幅となり、25766ドル、と。それでもそれから20日ばかり経った現在から言えば、6000ドル程度高い。東証も大幅下落しているが、今現在よりは4000円ばかり高い。
ここ暫らくのマーケット、いかにべらぼうなことになっているのか。
この日と明日の天気予報。
網走の明日の気温は、最高-4°C、最低ー11°C。