青もみじ巡り(2) 比叡山頂。

比叡山の西の麓・八瀬から比叡山頂へは、ケーブルとロープウェーを乗り継いで行く。
ケーブルは延長1.3キロ。その標高差561メートルは、日本一だそうだ。所要時間は9分。途中で乗り継ぐロープウェーの所用時間は3分。短時間で比叡山の山頂へ着く。ケーブルもロープウェーも乗っていたのは、私のみ。
実は、5時過ぎ、ケーブルの八瀬駅で切符を買った折り、駅員から声をかけられた。
「何処へ行かれるのですか。上はすべて閉まっています。交通機関もありません」、と。山上のバスが4時で無くなることは知っていた。宿坊までタクシーで行けばいい、と思っていた。「タクシーで行くつもりです」、と答えた。「比叡山にはタクシーなどありません」、と返ってきた。「タクシーがない?」、「ハイ、ありません」。
ケーブルに乗る人、私以外に誰もいないはずである。
「困ったな。延暦寺会館に泊まるんですが」、と私。「そうですか。電話をしておきましょう。山頂駅へ迎えに来るように言っておきます」、と親切な駅員。
ロープウェーの比叡山頂駅にも、駅員が一人いたのみ。比叡山頂、人の気配は何処にもない。

ロープウェーの駅を降りたすぐのところに、この桜木があった。
比叡山頂の桜木は、京都市内より3週間遅く満開となる、という。この桜木も満開であった。

眼下には、登ってきた京の町。

山頂駅前にある案内図。
叡山ロープウェーの比叡山頂駅とその日の宿・延暦寺会館とは相当離れている。
ワゴン車が迎えてくれた。助かった。宿坊まで車で10数分ある。その間、人にも車にも、何ひとつ会わなかった。
アップダウンもある。迎えに来てくれた運転手、「冬は道が凍って、登りきれないこともあります」、と話す。

10数分で、比叡山延暦寺会館に着く。

入口にこういうものがある。
”天台宗 祖師先徳鑚仰大法会 平成24年4月1日〜平成34年3月31日 伝教大師、慈覚大師、相応和尚、恵心僧都”、とある。
”道心 山川草木みなほとけ”、とも。

食事までの間、少し外へ出る。
宿のすぐ隣り。どことなく風情がある。

後で知ったが、入っちゃいけない大書院であった。

宿のすぐ近く。

木々の向うには、琵琶湖が見える。

6時過ぎ、宿へ戻る。

夕食は広い食堂でとる。
野菜の天麩羅や豆腐の鍋が目に着くが、湯葉が多用されていた。煮物にも刺身にも鍋にもお吸い物にも。
精進料理ではある。しかし、古びた部屋に通されて食った、昨年秋の高野山の宿坊での精進料理の方が、如何にも感があり美味かったな。

写経体験も付いている。夕食の後行こうか、と考えていたが面倒になった。
小学校のプールほどもある大浴場へ行き、部屋へ戻って自販機で買った酒を飲み、布団を敷いた。布団は自分で敷く、というシステムなんだ。
部屋は10畳。窓際にイス、テーブルの間がつく。広い洗面所、トイレはもちろんウォシュレット。
床の間には、このような絵。

≪圓仁入唐求法巡禮図≫である。
”圓仁”、”円仁”である。
司馬遼太郎の『街道をゆく 16 叡山の諸道』(朝日文庫 1985年刊)には、円仁のことが次々に記されている。
円仁、遣唐使船に乗り、唐にあること9年に及んだ。
が、「円仁入唐」ばかりじゃなく。司馬遼太郎の筆によるところで、円仁の原典によるものではないが、その様、冒険譚とも言える。面白い。
司馬遼太郎の『街道をゆく 16 叡山の諸道』、数えたわけではないが、最澄よりは円仁のほうがより多く出てきている感じがする。