利休。

天正19年(1591年)2月28日、雷鳴とどろく中、一畳半の茶室で、千利休は切腹した。亨年70歳。
茶頭として、織田信長に仕え、豊臣秀吉に仕え、天下並ぶ者ない茶人となった。しかし、秀吉の怒りを買い、切腹にいたる。
詫びを入れれば、との動きもあった。しかし、絢爛たる北野大茶会、また、その逆の朝顔の茶会、”美は私が決めること”、と豪語する利休、秀吉に頭を下げるよりは腹を切ることを選んだ。

『利休にたずねよ』、監督、田中光敏。原作は、山本兼一の直木賞受賞作。
利休に扮するのは、市川海老蔵。ミスキャストじゃないか、と思った。侘び茶の利休には、少し濃すぎるのじゃないか海老蔵は、と。しかし、そうではない。利休という男、何ごとによらず自己主張が強い。若い頃には放蕩三昧でもある。海老蔵に重なる。いいんじゃないか、と。

大徳寺山門に設置された利休像の件ばかりじゃなく、こんなことまで言われては、天下人・秀吉の面目がたたない。

美とは何か。先進国・明の唐物か。はたまた、その中ほどにある高麗物か。
ある日の利休、帰化人の息子である長次郎に手捻りの茶碗を焼かせる。今に伝わる黒楽茶碗。
それよりも”禁断の恋”。どういうことだ。

放蕩無頼を尽していた19歳の頃である。勿論まだ利休ではなく。宗易でもなく、与四郎と呼ばれていた頃かもしれない。
高麗からさらわれてきた李王朝の姫とゆき合う。高麗の姫を救おうと、共に逃げようと。
利休は和服、高麗の姫はチマチョゴリ。左上には桜の花、利休の足許には高麗・韓国の国花・槿(ムクゲ)が。
しかし、追いつめられる。今やこれまで、高麗の姫と利休は毒を飲む。しかし、高麗の姫は死に、利休は死にきれず生き残る。
その50年後、利休は切腹するのだが、その50年前には、このような物語があったんだ。
ところで、どうでもいい、と言えばどうでもいいことであるが、今日の読売夕刊2面の「はじまり考」という囲み記事に、お好み焼きの起源が記されている。
こういうものである。
<お好み焼きの起源は、茶人・千利休が考案した菓子「ふのやき」と言われます。小麦粉を水で溶いた生地にみそを塗って焼いたもので、1590年(天正18年)から翌年にかけての茶会の記録「利休百会記」に何度も登場します>、と。
アイデアマン・利休、さもありなん。
ところで、日韓双方でヘイトスピーチを飛ばしている人たちがいる。
相手を認めろ。いいかげんに止めろって言いたい。