カール・ラガーフェルド。

パリの大きなアパルトマン、「アクセサリーを選ばないと」、と呟く男。目の前には、山のようなクロムハーツのシルバー・アクセサリー。「いつも探し物ばかりだ」、と続ける。
白髪をポニーテールに、極端に高い襟のワイシャツ、濃いサングラス。シャネル、フェンディ、クロエ、世界のトップブランドに君臨するカリスマデザイナー、カール・ラガーフェルド。昨日の『世界一美しい本を作る男』・ゲルハルト・シュタイデルの、クライアントの一人でもある。

『ファッションを創る男 カール・ラガーフェルド』、2年間、300時間、ラガーフェルドを追ったドキュメンタリー。
監督は、ロドルフ・マルコーニ。
撮影、カメラ、録音も彼の手になる。”凝った映像や完璧に調整された音声には、興味がなかったから”、と語っている。

『ラガーフェルド・コンフィデンシャル』、”ラガーフェルドのすべて”、”ラガーフェルドの裏の裏”、とでもいうことか。

シャネルのショー、そのバックステージでのラガーフェルド。
「シャネルと関わったのは、1982年であった。死にかけている美女(シャネル)を蘇らせるのが目的だった」、とラガーフェルドは話す。
死に瀕した美女を蘇らせた。
1933年、ドイツで生まれたカール・ラガーフェルド、こうも語る。「私は、高校も出ていない。すべて独学だ」、と。
今、ファッション界のカリスマとなり、自家用ジェットで飛び回る。

モナコだったか。。左の女性は、ニコール・キッドマン。
しかし、カール・ラガーフェルド、「11歳の頃からホモセクシャルを自覚していた」、と言うんだ。「母親もよき理解者であった」、とも。自らのセクシャリティーについても。
自家用ジェットに美青年を乗せて南の方へ行き、半裸の肉体に向け、しきりにシャッターを押している。ラガーフェルド、カメラマンでもあるんだ。

「この業界の競争は厳しい。社会正義なんてこととは無縁だ。不公平なんて当たり前。成功するのはごく少数。危険な業界だ。それが嫌なら公務員にでもなればいい」、とラガーフェルドは語る。
「誰かの人生の中に存在したいとは思わない」、とも語る。
それらの言葉はいいとして、この文言は凄い。
「孤独は、勝ち取るものだ」、との。
”孤独”ということ、全身全霊を捧げて目指すものだ、と言っているのだから。
やはり、並みの感覚ではない。