茶の湯展。

一昨日、白と赤、日の丸カラーの衣装で伊丹空港へ降りたったイギリス首相・メイ、安倍晋三と京都で落ち合い、表千家「不審菴」でのティーセレモニーに迎えられた。テレビ画面のメイ、上機嫌の模様であった。
日本のティーセレモニー、トランプのような野卑な男には効果がないが、それ以外の大抵の指導者にはよく効く。日本の隠し玉だと言っていい。
今につながるこのような喫茶法は、12世紀ごろ、中国で学んだ禅僧によってもたらされたそうである。それが次第に禅宗寺院や武家など日本の高貴な人々の間に浸透していった、という。

夏前のトーハク正門前。
いつものようにチャリンコが何台か。

特別展会場の平成館壁面のポスター。
いつも思うが、平成館って特徴のない建物である。入口近くのポスターがなければ、ただの箱。

ところで、「茶の湯展」である。
日本へ入ってきた新しい喫茶法、まずは「唐物」を用いて茶を喫することがステイタスであったらしい。
スラヴはヨーロッパの辺境であったが、アジアの辺境である日本は、中心部である中国から何でもかんでも持ってきてありがたがっていたんだ。
そして幾星霜・・・
<16世紀(安土桃山時代)になると、唐物に加えて、日常に使われているものの中から自分の好みに合った道具をとりあわせる「侘茶」が千利休により大成され、・・・・・>、と東博・トーハクのパンフにある。
日本固有のティーセレモニー、現代日本の秘密兵器・隠し玉の嚆矢は、やはり千利休なんだ。

国宝 油滴天目。
中国・建窯、南宋時代・12〜13世紀、大阪市立東洋陶磁美術館蔵。
これは美しい。
旧安宅コレクションである。安宅産業が破綻した折り、その素晴らしいコレクションの散逸を恐れた住友グループが一括して買い取り、大阪市へ寄贈したもの。住友、がめつい商売で財を成した大阪商人というイメージがあるが、金を使う時にはがばって使う。特に文化面には。

私は、この茶碗に最も惹きつけられた。
国宝 大井戸茶碗 喜左衛門井戸。
朝鮮 朝鮮時代・16世紀、京都・狐篷庵蔵。
唐物に次いで日本へ入ってきた高麗茶碗である。力強く、その色調美しい。
今回の「茶の湯」展、多くの名品が展示されている。昭和55年(1980)の「茶の美術」展以来37年ぶりの大規模な展示だという。
以下、何点か取りあげる。

重文 黒楽茶碗 銘 ムキ栗長次郎。
安土桃山時代・16世紀、文化庁蔵。

重文 鼠志野茶碗 銘 山の端。
美濃 安土桃山時代・16〜17世紀、根津美術館蔵。

重文 唐物肩衝茶入 松屋肩衝。
中国 南宋〜元時代・13〜14世紀、根津美術館蔵。

重文 祥瑞蜜柑水指。
中国・景徳鎮窯 明時代・17世紀、湯木美術館蔵。

このところのお決まり、撮影コーナー。
定着した。

茶室「燕庵」が再現されている。
<重要文化財「燕庵」は、京都・薮内家の初代・紹智が古田織部から譲り受けたと伝わる茶室です>、とトーハク。

織部好みの「燕庵」、窓の多い建物である。

皆さん、スマホで中を。

この人も。

私も。

茶室、不思議な世界。

不思議な空間。

2、3年前ぐらいからだろうか、音声ガイドを聴いている。
混んでいる時などには、ベンチに座り音声ガイドだけを聴いていることもある。
茶の湯展の音声ガイドは春風亭昇太であった。さして印象に残っていない。
書き漏らしたが、ミュシャ展の音声ナビゲーターは檀れいであった。スラヴ叙事詩各作品の解説を聴いたな、という印象があるのみ。
その前、草間彌生展の音声ガイドは、ナレーターもいたが、そのほとんどが草間彌生自身の音声が流れた。
状況説明から、草間彌生自身の詩の朗読、さらに歌まで。草間彌生、絵描き、美術家であるが、詩人、小説家としても知られる。さらに、音楽家としても。そうは言っても草間彌生、息も絶え絶えといった歌声であった。
しかし、草間の息絶え絶えの歌、今やペインティングマシーンと化しているとも思える草間の絵同様、それが草間の今の「生」なんだろう。
古田織部の茶室、細い竹で組まれた窓が印象に残る。


蓮舫が投げ出した民進党の代表選、前評判通り前原誠司が党首となった。
民進党の直近支持率、5.7%。自民党の一党支配は問題があるが、その対立軸に民進党があるとはとても思えない状況。日本という国、困った状況に立ち至っている。