ギューチャンが好き。

ハイレッドセンターの3人も工藤哲己も、半世紀前の前衛、反芸術のスターであった。でも、私は彼らよりもネオダダの連中、なかんずく篠原有司男・ギューチャンが好き。
ネオダダの中で一番初めにニューヨークへ行った荒川修作は、好きじゃない。どこか計算高い感じがする。その点、ギューチャンはノンビリしている。だから、ギューチャン。
ギューチャンが好き、ギューチャンが好きって、今までにも随分書いたが、そうであるから仕方ない。

銀座4丁目和光の裏通りにギャラリー58はある。

ネオダダとして活動したのは短かったんだ。1960年のみ。
この年、私は高校を卒業していたが、大学ではなく結核療養所へ入っていた。そこを抜けだし、吉村益信のアトリエ・新宿のホワイトハウスへ行った。

1960年、ネオダダ第2回展案内状のための集団ポートレイト。撮影 小林正徳。
新宿百人町のホワイトハウスへ行くと、こういう連中が待ち構えていた。怖かった。
今、50年以上経つ。吉村益信も荒川修作も死んじゃった。

半世紀以上経ったネオダダの生き残りの面々、皆さん白髪頭。

写真を撮ってもいいか、画廊の人に訊いた。
いいですよ、どうぞご自由に、との答え。
中央の作品は、吉野辰海≪SCREW 象少女ー骨簪≫。
FRP、油彩 2014年 \2、500、000−。250万か。

こちら側から。

たしかに象。

しかし、こちらから」見ると、こう。

これ、吉野辰海≪SCREW 唐辛子犬ー視る≫。
FRP、油彩 2014年 \500、000−。

その後ろには、このような水彩によるデッサン。
象少女や犬少女。

≪SCREW 犬少女ーskeleton≫。
紙、水彩 2014年 \80、000−。

篠原有司男・ギューチャンの作品だ。
左の大きな作品は、≪寺田屋の斬り合い≫。
キャンバス、アクリル、紙 2014年 \3、500、000−。
大きな作品である。200号ぐらいか。それにしても350万とは、強気な値づけ。
たしかギューチャン、ニューヨークから日本へ、その都度、何十万円かの作品を持って帰ってきていた、と思っていたんだが。

ギューチャンの小品。
例えば、こういう作品。

≪お姫様にオモチを運ぶ兎と蛙≫。
紙、アクリル、カラーインキ、ペン 2014年 \300、000−。

田中信太郎の作品。

左から、このようなもの。

左の作品、≪ピアニッシモ 2つの円錐≫。真鍮、木 2014年。


田中信太郎≪ピアニッシモ 未完≫。
大理石、木。
田中信太郎の作品にのみ値段が付いていない。どうしてか。分からない。

赤瀬川原平の写真。タイプCプリント。
右端の作品は≪2011/04/05 アトリエで≫。
会期半ばのこの日、この作品のキャビネには多くの赤マルがついていた。おそらく会期末までには、完売となったであろう。


≪2013/03/10 自宅窓から≫。
どうしても映りこんでしまう。
赤瀬川とのコラボなんてことを言ったら、気を悪くするかな、赤瀬川。