理屈っぽい反芸術。

1960年代、前衛の時代であった。既成の諸々をひっくり返す。反逆、反抗である。
特に60年代初頭は芸術の世界でも前衛の時代、反芸術の時代であった。1930年代生まれの若い反芸術の旗手が生まれていた。
昨日のハイレッドセンターの3人や、新宿のホワイトハウス・吉村益信のアトリエに屯するネオダダの連中がそうであった。しかし、皆さん、反芸術を装いながら芸術をしていた。唯一、「ウン反芸術だ」と言えるのが工藤哲己であった。
1935年生まれの工藤哲己、藝大を出た後1962年にパリへ行く。同年代であるネオダダの荒川修作や吉村益信は、同じ頃ニューヨークへ行ったが、工藤はパリ。。
工藤哲己、その後20年に亘り、パリを拠点にヨーロッパで前衛・反芸術を貫く。

東京国立近代美術館での「あなたの肖像 工藤哲己回顧展」、大がかりなものであった。
工藤哲己の反芸術作品、200点が集められた。

工藤哲己、1990年に55歳で死ぬ。
その創作活動・反芸術活動は、ほぼ35年に亘る。
Ⅰ 1956−1962 「反芸術」から「インポ哲学」まで。
Ⅱ 1962−1969 「あなたの肖像」から「放射能による養殖」まで。
Ⅲ 1969−1970 一時帰国、≪脱皮の記念碑≫の制作。
Ⅳ 1970−1975 「イヨネスコの肖像」から「環境汚染ー養殖ー「新しいエコロジー」まで。
Ⅴ 1975−1979 「危機の中の芸術家の肖像」から「遺伝染色体の雨の中で啓示を待つ」まで。
Ⅵ 1980−1990 「パラダイス」から「天皇制の構造」、そして「前衛芸術家の魂」まで。

1963年、パリ・ブーローニュ映画撮影所でのハプニング≪インポ哲学≫。

1966年、パリ市立近代美術館でのハプニング≪あなたの肖像≫。

夥しい数の鳥かごがある。1979年から1981年にかけての作。
それぞれに名前がついている。が、長い名前もあるので、それは記さない。

1980年、ポンピドォー・センターでのセレモニー≪灯は消えず≫での工藤哲己。

この作品のタイトルは長い。
≪縄文の構造=天皇制の構造=現代日本の構造(天皇制の構造について−聖なるブラックホール≫。1983年の作。
それにしても、何て理屈っぽいタイトルなんだろうね。
反芸術、さまざまな要素を含んでいるが、理屈っぽいというのもそのひとつ。
20年に及ぶヨーロッパでの生活と別れ日本へ帰った工藤哲己、1987年、母校・東京藝大の教授に迎えられる。いい先生であったようだが、3年後死ぬ。
好きではないが、彼の活動、存在意義は認める。反芸術を貫いた芸術家。