ギューチャンとキューティー(続き)。

ギューチャンとキューティーの二人に目をつけたら、面白いドキュメンタリーが撮れるに決まっている。そうは言っても、20代後半の5年近く、ギューチャンとキューティーの二人に密着していたザッカリー・ハインザーリングのディレクション力は凄い。アカデミー賞こそ逸したが、サンダンスその他で幾つもの監督賞をとっているのだから。
監督のザッカリー・ハインザーリングについて、キューティー・乃り子はこう言っている。
「初めは子供だったが、だんだん成長してきた。その内にザックの存在がうちの中の家具や何かのひとつ、まるで電気釜のようになっていました」、と。ホント、ごく自然。

『キューティー&ボクサー』、東京では昨年末から1月にかけて公開された。その後、全国各地を回っている。今、川越や宇都宮では上映中。来月は尾道に行くようだ。

アッ、今さらであるが、キューティーは、可愛い子ちゃんであるからキューティー。当たり前。
ブリーは、ギューチャンの有司男→牛男→Bullからきている。Bullの後ろについている”ie”は、いわばギューチャンの”チャン”に相当。言語学的にはいざ知らず、その場その場ぶっつけ本番の感覚的な私の用法では、そう。
愛と闘いの40年。
たしかに、そう。
二十歳になるやならずでギューチャンと結婚し、故に、日本からの仕送りは止められ、子供ができ、飲んだくれの男との貧乏暮らし、とくるんだから。愛なくしてはできないことである。

ギューチャンの妻、母(ギューチャンとキューティーの間には息子がいる。アレックス・空海という名前の。名前負けしているアルコール依存症の男なんだ。頼りないヤツなんだ。キューティーに同情する)、また、時にはギューチャンのアシスタントであったキューティー・乃り子、ある時目覚める。
「私の自由も邪魔しないで」って。

ギューチャンは、ボクシング・ペインティングをやっている。

『キューティー&ボクサー』の公開に会わせ、近くのパルコ・ミュージアムでギューチャンとキューティーの二人展があった。
映画の半券を持ってきた人は、入場料は半額。
受付の人に写真を撮ってもいいか、と訊くとダメだという。
ギャラリー58や東京画廊では「いいですよ」、と言ってくれたのだが。それどころか、2007年の豊田市美術館での大掛かりなギューチャンの展覧会でも、撮影は許されていたのに。
会場の外からならいい、とのこと。
で、外から撮った。これである。

こういうもの。

タイトルは、『愛の雄叫び 東京篇』。ニューヨーク篇の東京バージョン。

その模様、パンフから複写。
ギューチャンの≪竜安寺≫。
龍安寺の石庭、ギューチャンの手にかかると、こう。

ある日、ブリーはキューティーにプレゼントをしてくれた。赤い靴だ。「見て、キミを愛しているよ」って言って。キューティーは夢見ごごち。ダンスパーティーに連れていってくれる、と。でも、キューティーには着て行く服がない。
ンッ、昨日の赤い靴の物語と同じである。細部は少し異なるが。
キューティー・乃り子、そういうところ、とてもキューティー。

これもキューティーの絵巻絵画。
<しかし、ブリーはかまってくれない。「オレの自由を奪うな」、と。いつも彼は夜遅く、酔っぱらって帰ってくる。・・・・・>。

≪愛の雄叫び 東京篇≫、愛すればこその葛藤が描かれている。

この言葉の前に、こういう言葉がある。
<ヴァージニア・ウルフが言っていたんですよね。女性のアーティストが何かしようと思ったら>、という文言が。

ギューチャンの追っかけ、50年以上。
1960年、新宿百人町のホワイトハウス・吉村益信アトリエでの”ネオダダ・オルガナイザーズ展”。読売アンパン。
1964年、ブリジストン美術館講堂での”ヤングセブン展”の討論会。”ヤングセブン”、東野芳明の企画による展覧会。荒川修作、菊畑茂久馬、工藤哲己、三木富雄などが選ばれていた。が、その中にギューチャンの名がない。