赤瀬川原平の芸術原論展。

多才な男・赤瀬川原平は大人(たいじん)であったな、と思えてならない。一般世間の物差しから見れば奇妙奇天烈な前衛に身を置いても、シャカリキって感じがしない。大人の対応なんだ。どうも、そう思う。

千葉市美術館、千葉市中央区役所の上にある。
だから、1階入ったところはこのよう。ご近所さんの寄りあいだ。

千葉市美術館の第一会場は8階。
私が赤瀬川原平を始めて知ったのは、1960年である。
高校を出て東京へ出てきた私、大学ではなく結核療養所へ入っていた。その病院を抜け出し、新宿百人町の吉村益信のアトリエ・「新宿のホワイトハウス」へと行った。

そう、ネオダダの牙城へ。
モヒカン刈りのギューちゃん・篠原有司男はじめ腕っ節自慢の武闘派の連中が屯していた。そこには、赤瀬川原平もいた、と思う。しかし、赤瀬川の記憶はない。
赤瀬川原平、武闘派ならざる頭脳派としての立ち位置を指向していたように思える。若い頃から大人だったんだ。
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ハイレッド・センターでの≪首都圏清掃整理促進計画≫。

千円札裁判だ。
通貨及証券模造取締法違反により起訴される。
懲役3年、執行猶予1年の有罪判決を受ける。

大日本零円札。


8階から7階の第2会場へ。
トントントン、と。

赤瀬川原平の「芸術原論」。

器用な男だ。
イラストレイターに。

「櫻画報」、その才能、溢れる。
画才のみならず、文才でも暴れる。1981年、尾辻克彦名で芥川賞を取る。

「ライカ同盟」を結成。
ライカの精緻な姿を描く。

こういうものもあった。

「トマソン黙示録 真空の踊り場・四谷階段」。

千葉市美術館会報vol.73。
その表紙は、赤瀬川原平の≪あいまいな海(スカート)≫、1963年の作。
ヤンチャ盛りの頃だろうに、どこか落ちついている。大人の面影を隠し。

週末夜の千葉市美術館、太い柱に赤瀬川展のタイトルが巻かれる。
本展、今週いっぱいは大分市美術館、3月下旬から5月末にかけては広島市現代美術館へ巡回される。