スティーブ・ジョブズ。

黒のタートルネックにくたびれたブルージーン、それに、白いスニーカーの3点セットとくれば、新製品発表時のスティーブ・ジョブズ、その人であった。右に左に動きまわりプレゼンをする。カッコよかった。
若くして成功、桁外れの富と名声を手にした。
”天才”と言われる。
しかし、多くの”天才”の例に漏れず、スティーブ・ジョブズもイヤな男。傲岸にして傲慢、お友達にはなりたくない男である。

監督:ジョシュア・マイケル・スターン、脚本:マット・ホワイトリー、スティーブ・ジョブズには、アシュトン・カッチャーが扮した。
昨日のダイアナに扮したナオミ・ワッツには違和感があったが、スティーブ・ジョブズに扮したアシュトン・カッチャーは、ドンピシャ。顔つきはもちろん、やや前かがみで歩く姿まで、ジョブズそのままである。

スティーブ・ジョブズ、56歳という若さで旅立ってから2年少しが経つ。
栄光と挫折、波乱万丈の生涯、さまざまなものをこの世に残した。
嫌味な男が、さまざま夢のある未来を。その言葉で、多くの人を傷つけてきた男が、そのアイデアで多くの人を幸せにした。
1955年生まれのスティーブ・ジョブズ、アップルを立ち上げたのは1976年。
共同創立者は、スティーブ・ウォズニアックとマイク・マークラの3人。マークラは投資家であるが、スティーブ・ウォズニアック、ウォズは少し年上のやはり天才。
ウォズ、ジョブズとは真逆、ずんぐりむっくりとした男である。しかし、気のいいヤツなんだ。ウォズ、ITの技術者としては天才。初期のアップルを支えたメカは、ウォズが創り出したもの。ジョブズを支える。
スティーブ・ジョブズのアップル、巨人・IBMやビル・ゲイツのマイクロソフトと対峙する。
全面戦争も辞さない、と。
スティーブ・ジョブズとビル・ゲイツ、同い年であることも面白い。
1985年、スティーブ・ジョブズ、自らが設立したアップルの役員を解任される。「アップルにとって、お前が問題だ」、と。
スティーブ・ジョブズ、こう言っている。
「私は解放され、人生の中で最も創造的な時期を持った」、と。負け惜しみにしても、突っ張っているよ。
そのスティーブ・ジョブズ、1997年、厳しい経営状況に追いこまれていたアップルへ復帰する。
年俸1ドルで。

スティーブ・ジョブズ、多くの言葉を残した。
最も知られているのは、これであろうか。2005年、スタンフォード大学の卒業式でのスピーチ。
「ハングリーであれ、愚かであれ」、という言葉。
愚鈍に、戦えってことであろう。
ペプシコーラのCEOを引き抜く時の殺し文句も知られている。
「このまま一生、砂糖水を売り続けたいか? それとも世界を変えたいか?」、というもの。ペプシコのCEO、ジョン・スカリー、アップルのCEOとなった。
それも含め、スティーブ・ジョブズの言葉、嫌味なものが多い。「能力のない者は去れ」、といった言葉。厳しい。
嫌味な男である。
”イノベーションは、誰がリーダーで誰が追随者かはっきりする”、なんていやらしい言葉も言っている。スティーブ・ジョブズは。
そうは言っても、そういう男がいたのは、現実。
まだ20代のスティーブ・ジョブズ、こういうことも言っている。
「30代や40代のアーティストが、斬新なものを生み出して社会に貢献できることはめったにない」、と。
そうではあろう。でも、嫌味なヤツである。


ローザンヌ国際バレエコンクールで、日本の高校生が、ワンツー・フィニッシュした。
20代どころじゃない。17歳と15歳。
ホント、凄いよ凄い。嬉しいよ。