東博の馬。

今年の干支は午。
馬、身近な動物である。しかし、東博の「午年によせて」という説明書くきには、こういうことが書かれている。
<日本における馬文化は、古墳時代に始まりました。邪馬台国の記述で知られる『魏志倭人伝』によれば、2世紀前半の日本には牛・馬・虎・豹・羊・鵲(かささぎ)がいなかったそうです>、と。
驚いた。虎や豹がいなかったというのは、そりゃそうであるが、牛や馬もいなかったということには。知らなかった。
それに続いて、こう記されている。
<しかし、5世紀半ばの古墳から、鞍・轡・鐙などの馬具や馬形の埴輪が副葬品として数多く出土することから、このころまでには馬文化が日本に広く普及したといえます>、と。
古墳時代、5世紀には、馬文化が普及した、という。ということは、2世紀から5世紀の間に、馬が日本に入ってきて、馬文化が定着していったということかなー。
そこのところ、今ひとつ分からない。が、それはそれとして、東博の持つ馬に関する美術品を、幾つか載せることとする。

≪埴輪 馬≫。
群馬県大泉町出土。古墳時代、5〜6世紀。
<古墳時代に大陸から日本列島に乗馬の風習が伝わると、古墳でとりおこなわれる埴輪祭祀にも馬が見られるようになる>、と説明書きにある。

左は、≪素環鏡板付轡≫。国宝である。
熊本県玉名郡和水町、江田船山古墳出土。古墳時代、5〜6世紀。
右は、≪輪鐙≫。こちらも国宝。
左と同じ古墳から出土。時代も同。

≪馬冠≫。
中国 西周時代、前11〜前8世紀。イヤー、古い。約3000年前のものだ。
<周縁の孔に紐を通して板に固定し、馬の頭上に載せたことから「馬冠」という>、と説明書き。

≪神仙車馬画像鏡≫。
中国 後漢〜三国時代、2〜3世紀。
<上に男性神・東王父、下に女性神・西王母、左右に豪華な4頭立ての車馬の文様を配する>、とあるが、お分かりいただけるであろうか。

国宝≪十六羅漢像(第五尊者)≫。
絹本着色。平安時代、11世紀。
<『西遊記』のモデルとされる玄奘三蔵に擬えられたと見られる羅漢像。・・・・・。現存する羅漢像のなかでも乗馬姿は非常に珍しい>、とある。
この後もあるのであるが、先ほどから何かがおかしくなった。キーボードへ打ったものがどこかへ行っちゃた。出てこない。あったものが消えている。
中途半端であるが、今日は一旦打ち切る。