東博の馬(続き)。

人間の歴史と共にあった動物って何なんだろう、と考える。
犬や猫は、やはり人間との関わりが限られる。愛玩物という意味合いが濃い。牛はどうか。つき合いは長いが、いろいろな場で、ということになると少し違う。
やはり、馬であろう。
農耕や運搬、交通、戦闘、さまざまな場で、馬は人間と共にいた。
東博の持つ馬。昨日の続き。

≪三彩馬≫。唐時代、8世紀。
<唐時代、葬礼を豪華に行なう厚葬において、三彩の俑や器物が大量に納められた。・・・・・。たてがみや障泥、鞍などに白地を効果的に残し、褐釉、緑釉を掛け分けた典雅な一品>、と説明にある。

≪加彩馬≫。唐時代、8世紀。
とても躍動的な馬の姿である。
<素焼きした上に、鮮やかな赤や茶色の絵具で彩色を施している>、と説明書き。

何とも言えない色調である。
右は、≪加彩馬≫。中国、前漢時代、前2世紀〜前1世紀。
<四肢、尾、耳、轡は別作りのものを、元々挿しこんでいる。騎乗する人物も欠失しているが、朱、黒、白で描かれた・・・・・。中国の前漢時代の王候は、小型ながら無数の兵馬俑を墓に列葬させた>、とある。
左は、≪騎馬人物俑残欠≫。中国、アスターナ・カラホージャ古墳群。唐時代、7〜8世紀。<シルクロードのオアシス都市・トゥルファンにある古墓跡から出土したもの>、とある。あちこち欠失しているが、とても美しい。

≪ヴァージィムカ立像≫。カンボジアあるいはタイ。プレアンコール時代、7〜8世紀。
<ヒンドゥー教の神様であるヴィシュヌは、カメやライオンなどいろいろな動物に変身し、そのたびに名前も変える。馬の頭をもつこの像はヴァージィムカという>、そうだ。

≪十二神将立象 午神≫。鎌倉時代、12〜13世紀。
<日本で十二神将に十二支の動物を標識として表わすようになったのは11世紀頃からである。・・・・・。鎌倉時代初頭に・・・・・。鎌倉幕府の有力御家人三浦氏が運慶周辺の仏師に造らせたもので、12躯揃っている>、と東博。

≪聖徳太子絵伝断簡≫。紙本着色。南北朝時代、14世紀。
<聖徳太子の事跡を描いた絵巻断簡で、太子と愛馬黒駒の物語を描く。ある時、・・・・・>、と続く。
聖徳太子に忠誠を尽くす、健気な馬の物語であるらしい。

≪木製彩色婦人乗馬図華鬘≫。和歌山県高野山丹生郡比売神社伝来。室町時代、15世紀。
<華鬘は室内にかけて、仏のいる空間をかざる仏具。・・・・・。恐らく神社の「絵馬」のような意図で、女性の何らかの願いを込めて奉納したのであろう>、というものだそうだ。

鞍と鐙。
左は、≪牡丹錦鶏蒔絵鞍鐙≫。江戸時代、19世紀の装飾的な作品。
右は、≪芦穂蒔絵鞍鐙≫。安土桃山時代、16世紀。重文。
<豊臣秀吉所用と伝えられる鞍と鐙>、である。

≪騎馬人物≫。インド、ビカネール派。紙に水彩。18世紀前半。
インドのミニアチュール(細密画)である。白馬に跨った黄色いターバンと黄色い上着の人物が描かれている。が、画面、白いところが多い。完成に至らなかった習作かもしれない。

広重である。
歌川広重筆≪東海道五十三次之内・宮 熱田神事≫。横大判 錦絵。江戸時代、19世紀。
東博の説明書きには、こうある。
<宮は、熱田神宮に由来する門前町の名前。かって尾張地方では、「御馬塔」と呼ばれる神馬奉納行事が行なわれていた。本図には、熱田神宮での御馬塔の様子が描かれている>、と。
広重の「東海道五十三次」には、まだ他にも馬が出てくるものがあるが、「宮の馬」で、右総代としてもらう。