高野・熊野・伊勢巡り(10) 高野山から熊野本宮へ。

「50年近くになるなー」という男に会ったり、あちこち出歩いていたりで、ブログ暫らくお休みとした。
「高野・熊野・伊勢巡り」、そろそろ熊野三山へ行かなければならない。まずは、熊野本宮大社へ。
古来、熊野本宮大社への道は、京大阪からのメーンの紀伊路、伊勢の方からの伊勢路がある。
高野山からは、熊野本宮大社までまっすぐに南下する小辺路がある。最短コースである。バス道もある。しかし、このバス道、2年前紀伊半島を襲った台風で道路が崩壊、今に至るも不通。
で、高野山から熊野本宮まで、大きく回りこむルートを取ることとなった。紀伊田辺から紀伊半島の内部へ入る。平安期以降、天皇や上皇、法皇といわれる高貴なお方が辿った中辺路ルートである。
高野山の宿坊を出てから熊野本宮大社まで約7時間、半日がかりの旅となった。
朝6時半過ぎ、高野山の宿坊・赤松院を出る。
本堂の横を通ると、お経を唱える声。前日は7時からであった勤行、その日は6時半から始まったらしい。中には3〜40人の人が勤行に参加している。前夜着いた団体さんであるようだ。それを横目でバス停へ。
ケーブルカーの高野山駅、宗教都市である高野山町からは少し離れている。バスは、4〜5キロばかり山の中を走る。15分ばかり。7時前、ケーブルの高野山駅に着く。

早朝の高野山駅。
前々日の夜、高野山に着いた時には真っ暗で、何も見えなかった。こうして見ると、なかなか趣き深い駅舎である。

ケーブルカーには、何人かの高校生が乗ってきた。
下界の学校へ通っているんだな。ケーブルの着く駅・極楽橋には学校などないであろうから、極楽橋から南海電鉄に乗り、橋本あたりの学校へ通っているのであろう。

高野山駅から下の方を見る。

雲海とは言えないであろうが、雲かなー、霞かなー、この光景。

ケーブルカーはどんどん下る。

朝の冷気の中を、霧か、霞か、靄か、その中を下る。

ケーブルカーの終点・極楽橋駅が見えてくる。
極楽橋駅で南海電鉄に乗り換える。橋本まで、約1時間弱。
途中で朝飯の弁当を食べる。

これである。
前夜、朝の出立が早いと言うと、では弁当を用意しましょう、と言って宿坊で作ってくれたもの。
おにぎりが二つある。レンコンやコンニャクの煮たものがある。コンブがある。梅干しが二つある。たくあんが二切れある。
これぞ弁当である。「ザ・弁当」、と言って過言ではない。
美味かった。
しかし、私には量が多い。おにぎりをひとつ食べ、コンニャクやレンコンも半分ぐらい食べ、梅干しもたくあんもひとつ食べ、残りの半分は後で食べることとした。

橋本へ着く少し前、紀の川を渡る。
和歌山を代表する川である。紀の川を渡ると、すぐ橋本。
橋本でJRに乗り換え和歌山へ。1時間少し。
和歌山駅で、JRの特急「くろしお」へ乗り換える。紀伊田辺まで行く。その間、1時間少し。

JRの特急「くろしお」のシ−トの背もたれには、このような広告が。
「旅の原点 和歌山へ」。上は熊野、下は高野山。和歌山というより、JR西日本の切り札だ。

紀伊田辺へ着く前、アナウンスが流れた。
「皆さま、右側をご覧ください。雄大な太平洋がご覧いただけます」、と。それが、この光景。
明るく雄大な太平洋である。光り輝いている。紀伊半島を走っている、との思いを抱く。
その少し前、高野山の宿坊で作ってくれた弁当の残り半分を食べる。おにぎり一つと梅干しやたくあん。美味かった。

紀伊田辺からは、バスで熊野本宮大社へ向かう。その間、約2時間少し。
バス停前の看板。
熊野古道沿いではあるが、当然バス道を走る。
乗客は4人のみ。初老の男と私、外国人の老人夫婦。これですべて。バス代は、たしか2000円であった。これじゃ採算は取れないよ。申しわけなし。

バスは1時間ばかり走り、ここで停まる。丁度熊野本宮大社までの半分ぐらいの所。
トイレがある。他に停まっている車もない。それにしても、この日はいい天気であった。高野、熊野、伊勢巡り、雨降りばかりであったが、この日だけはピーカンの好天であった。

こういう看板が立っている。
”近露の水は現世の不浄を祓う”、と記されている。

バスは、だんだんこのようなところを走る。

2時間ばかり後、バスは熊野本宮大社のすぐそばへ着いた。


今日、中国は、尖閣諸島上空を防衛識別圏としたそうだ。
尖閣上空へ何れかの飛行機が入った場合、お互いにスクランブルをかける、ということになるんだ。
習近平、判断力が悪いのか、困っているのか、いずれにしろ、中国4千年の文明を継承しているとは思えない。
キャロライン・ケネディ、4日前の19日、皇居で天皇へ信任状奉呈式に臨んだ。
一昨日には、米軍の横田基地へ行った。その後、日本の防衛大臣である小野寺と会っている。今後、東北へ行く、そして沖縄へも、と。
習近平、嘗めたらいかんぜよ、である。キャロライン・ケネディ、その第一歩を印した。
50年前の今日、日本初の宇宙中継があった。
米国時間では、11月22日。でも、日本時間では、11月23日の今日。
ダラスから、ジョン・F・ケネディが弾丸に倒れる画面が流された。おそらく、日本人の7〜8割の人が見ていた。それから50年。
”スイート・キャロライン”、”スイート”ばかりじゃなく、”ビター・キャロライン”も見せてくれ。