おべんとう展。

東京都美術館の地下の展示場では、時折り「オッ」という企画が催される。
メーンが藤田嗣治展の時も面白そうだなーってものが行われていた。「おべんとう展」ってヘンな名前だな、とも思っていたが。でも、面白そう、と。藤田を見た後には寄ってみよう、と暫らく前から考えていた。

ギャラリーA、B、Cは都美術館の地下。

9月半ば、藤田嗣治展を見た後、さほど時間はなかったが飛びこんだ。

ギャラリーAは古い弁当箱などが展示されていたが、ほとんどは撮影禁止。
小倉ヒラクのこの動画は撮ってもいいですよ、というもの。
小倉ヒラク「おべんとうDAYS」。

「スペシャルおべんとうDAYS」か、いいなあー。
だんだん食べられなくなったというか、食べなくなったというか、いずれにしろ食べることが少なくなった私、ただ「いいなー」、という思い。

いっぱいのおべんとう。


みなぎっしり詰まっている。お弁当が。
実はウチの孫坊主が、何でもムシャムシャと幾らでも食う。まだ1歳半なんだが、私より食う。あまり食いすぎてもいけないんでそのパパママが止めると、怒りだす。その内、貴景勝のようになるのではないか、と何とも複雑な気持ちを抱いている。
それはともあれ、普通の人はこれぐらいのおべんとうは食わなきゃいけないんだ。そうでなきゃ、思いやりも伝わらないんだ。食べない私の思いなど、どこへも伝わらないってことなんだな、きっと。

白い手袋をはめてべんとう箱に触れてくれ、と。

ギャラリーB、幾つものテーマを持った布で囲まれたパートが7つか8つある。

そのひとつに入る。
と、こういうものが目に入る。

数多くの「お弁当の思い出」がかかっている。

その多くは、やはりお母さんがらみのものである。

私も書いた。私の「お弁当の思い出」を。
5年前になるが、高野山から熊野三山を巡った。高野山の宿坊で2泊し、熊野本宮へ向かった。本来ならば高野山から熊野本宮へは真っすぐ南下する小辺路がある。しかし、その2年前の台風で小辺路は通行不能となっていた。一旦紀伊田辺へ出て、そこから中辺路を通り熊野本宮を目指した。電車やバス、約7時間を要した。高野山の宿坊は朝早い時間に立つ必要があった。
高野山の宿坊、「お弁当を作っておきます」、と言った。素晴らしい弁当であった。
おにぎりがふたつ、レンコンとこんにゃくを煮たものが少し、タクアンふた切れ、小さな梅干しふたつ。まさに「ザ・弁当」とも言えるものであった。
一度に食べることができない私、その「ザ・弁当」を電車の中、そして中辺路のバスの中、朝飯、昼飯、二度に分けて食べた。
いやー、これは美味かった。


ギャラリーCへ移る。

こういうコピーがある。

北澤潤による「FRAGMENTS PASSAGE あすそわけ横丁」というものらしい。

北澤潤のこういう文言。

おすそわけ横丁である。

ここも。

ここも。

上野。

アメ横への思い。

で、「おすそわけ」。

作家・北澤潤による「FRAGMENTS PASSAGE(おすそわけ)」の仕組み。
パンフを複写した。

おすそわけの受付。

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と、声をかけられた。「何か疑問点や質問はありませんか」、と。
「質問? アートってものはただ描いたり彩色したりするものではないってことは知っているので、これにも別に驚かないが、何ともヘンなものだなってことは感じた」、と応えた。
そして、「ひょっとしてあなたはこの作品の作者なのか?」って訊いた。
「そうです」、という答えが帰ってきた。
「あなたの写真も撮ってもいいか。ブログに載せてもいいか」、と訊いた。「はい、結構です」、ということであった。

で、この写真を撮った。
「こんな大がかりな作品、作るのは大変じゃないか」、と訊いたら、「今回の作品は美術館からの依頼で作ったものです」、とのこと。
そうではあったとしても日常はどうしているのか、気にかかる。どうやって食っているんだ、と。

今まで藝大の大学院の学生や大学院を出た何人かの若い人と行きあっってきた。彼らはみな、作家としてこれから生き残っていくのは大変だ、と話していた。この男も大変だな、と考えた。
その後、この展覧会のパンフをじっくりと読んでいたらこの作者・北澤潤を紹介する個所があった。その個所を複写する。

一昨年、2016年、フォーブスのアンダー30のアジアの30人に選ばれている。アート部門で。
私などがどうこう思い煩うことはない。