高野・熊野・伊勢巡り(9) 壇上伽藍(続き×2)。

時間は早いが見学や見物はもう打ち上げ、おしまいにしよう、どこかでコーヒーでも飲みながら、ひと休みしよう、と決めた。
壇上伽藍の東から西の方へ歩いて来たんだ。東の方へ戻ろう。

鐘楼がこう見え、その先に根本大塔が見える、ということは、西塔の前あたりにいたんだ。
ここから東の方へ戻って行く。

カメラを少し左へ振ると、西塔。
華岡青洲が寄進したという石燈籠もある。

このお堂はどのお堂であったか。
どのお堂にせよ、趣き深い佇まいである。周りの樹木も含めて。

美しい。
味わい深い。

落ちついた色調に囲まれた根本大塔の朱色、よくマッチしている、と言えるのじゃないか。

戻る道々、お堂の一部を切り取る。
何とも言えぬ色調。とてもシック。

切り取った御影堂。
これもシックだな。

雨に濡れた周りの樹木の色調もシック。

三鈷の松の向うに金堂が見えてきた。

金堂も根本大塔もすぎると、先の方に東塔が見えてくる。壇上伽藍の東の端である。
その先の蛇腹路(じゃばらみち)を少し歩くと、金剛峯寺の前へ出る。

金剛峯寺の前には、傘もささずビニールの雨合羽を着た若い二人連れがいた。
よく見ると、外国人。まだ金剛峯寺の門扉も開いている。その方へ歩いていった。あのパワフルな感じ、おそらくアメリカの若いヤツであろう。
私は、座る場所・喫茶店を探す。金剛峯寺のすぐ前から続く、高野山町の中心部を歩きながら。
しかし、喫茶店はない。でも、酒屋があった。寝酒にウイスキーのポケット瓶を求める。喫茶店はなかった。すぐの観光案内所で訊いた。喫茶店ではないが、コーヒーを出している食堂が近くにある、とのこと。
教えてもらった食堂でコーヒーを飲み、暫らく休んだ。
バス停へ行きバスを待つが、バスは来ない。どうも、バス停の時刻表が古いようだ。20分ばかり歩いて宿坊まで帰る。時刻は、まだ5時前。
宿坊のお坊さん、「夕食は5時半からです。今日はこの後団体客が来ます。先に風呂に入ってください」、と言う。大きな風呂にゆったりと入り、部屋に戻った。
5時半丁度、若いお坊さんが夕食を告げにきた。その若いお坊さんの後に続き夕食の間へ行く。
その時、不思議なことに気がついた。
前を歩く若いお坊さん、廊下の角を曲がる度に、一旦止まり、鋭角的に身体を曲げ、その後歩きだす、ということに。前夜も同じような状況であったのに、気がつかなかった。ヘー、と思った。
で、その若いお坊さんにこう訊いた。
「お寺さんでは、廊下の角を曲がる時にはそうするのですか」、と。その若いお坊さん、こう答えた。「僧侶は、こういうように歩くように、と教えられておりますので」、と。
それが、どうってことではない。しかし、若いお坊さんが発する言葉には、何か得も言えぬ”気”があるような気もする。
そういうものなんだな、ということであろう。

その日の夕食。
前日の料理と基本的には同じである。
湯豆腐の鍋も、季節の野菜の天麩羅も。茄子の田楽は前日にはなかったか、フルーツも異なるか、と言った程度。
熱燗を一本頼み、精進料理をいただいた。
おいしかった。