高野・熊野・伊勢巡り(13) 熊野川。

本宮大社には2時間ばかりいた。3時半近くのバスで新宮へ向かった。新宮までは1時間少し。
乗客は、紀伊田辺から本宮までのバスに乗っていた男と私の二人のみ。採算割れもいいとこだ。いかに紅葉には少し早いウィークデーであるとはいえ。私がどうこう思っても、どうなるものでもない。
しかも私は、熊野交通のバスの運転手にこう言った。
2500円の熊野三山3日間フリー切符を求めたいと。運転手はこう言う。そのフリー切符は営業所でしか売っていない、と。バスの中では扱っていない、と言う。

本宮大社から速玉大社のある新宮までは、バスは熊野川に沿って走る。

このあたりであったであろうか、川下りの駅でバスを停めた運転手、下りて行き、暫くして戻ってきた。そして私にこう言った。
「ここは川下りの船の営業所ですが、私どものバスと同じ会社です。ここで訊いたら、3日間のフリー切符を扱っている、と言っています。ここで買ってくだい」、と言う。
さらに、こうも。
「このバスは那智まで行くバスですが、新宮に着いたら3日間のフリー切符を作っておくように、営業所に携帯で連絡しようか、とも思っていました」、と。
何たること、採算割れもいいとこの気楽なジジイのためにそこまで考えてくれるのか。
川下りの営業所で3日間のフリー切符を求めた私、その運転手の行ないに涙が出そうになった。新宮で降りる時、幾重にもお礼を言った。50代になっているかな、と思われる運転手であった。

熊野と言い、新宮と言い、その地を代表する作家が二人いる。
一人は、門弟3000人の佐藤春夫。
佐藤春夫の熊野川。
<わが三歳の晩春の事と推定されるのであるが、わたくしは四つ年上の姉におんぶして川原に連れて行かれた。・・・・・浅瀬の波に南国の日の光がきららかに・・・・・>。
『日本の風景 風景の魅力』より。

こういうところも。

こういう流れも。

このあたり、新宮までの半分少しは来たのかな、というところ。
あと一人の、熊野と言うか、新宮と言うか、その地を代表する作家、中上健次に登場してもらう。
中上健次、もしあと10年か20年生き長らえていれば、確実にノーベル文学賞を受賞していたこと、疑いの余地はない。
中上健次著『火の文学』(平成4年、角川書店刊)から引用する。
中上健次、角川書店の編集者とこのような会話を交わす。
「御船まつりも豪快です。あれもやっぱり古い形(スタイル)が色濃く残ってますね」。
「「御船まつりは、熊野水軍って言うんか、水にちなんだ・・・・・」。
「早船競争があるのは古座と新宮と二木島ですよ。ぼくの、「火まつり」は、舞台をニ木島にとったけど、ニ木島に早船の競争があるんですよ。あれはニ派にわかれてやるんだけれど、御船祭は幾つでやるんですか?」。
「九隻。新宮、熊野を九つに分ける」。
「御船まつりは十月にあるんですか」。
「十月十六日」。

デジカメの中に雨が入り、周縁部はボーとなっているが、その翌日、10月22日付けの熊野新聞。

<台風26号の影響で延期となっていた、熊野速玉大社の例大祭での早船競漕が、20日、熊野川で勇壮に挙行された>、とかろうじて読むことができる。

周縁部はボーとしているが、終りの方の文言は、<・・・・・激しさを増してきた>、と読める。

右上の写真のキャプションには、<御船島を周回する。20日、熊野川>、というキャプション。
御船島、熊野川河口」の島らしい。
熊野川、さまざまな物語を紡いできた模様。