谷中ぶらぶら、雨ポツポツ(1)。

5月下旬、5月場所楽日の何日か後、Sさんから来信があった。珍らしく絵葉書である。表面の左上4分の1程度に宛先が書かれているが、残り4分の3には細かい字がびっしりと書かれている。しかも、英文。
なんでも、その2〜3日前に奥さんと10年ぶりぐらいで国技館へ行った、という。10年前には朝青龍が横綱で、琴欧洲などはまだ髷が結えていなかった、とある。その日、朝9時半には国技館へ着いたが、残念ながら当日券は買えなかったそうだ。で、その後どうこうどうこうとして、と続き、おしまいに、”久しぶりに会いませんか”、と書いてある。
返事を出した。お元気そうで何よりです。そうですね、どこかの居酒屋で一杯やりましょう、と書いた。英文の往信だったので、少し面倒だったが英文で。その何日か前に記したブログ「土俵人生」をプリントアウトしたものを同封して。Sさん、パソコンなどやらない。当然、私のブログなど読んでいない故。
その何日か後、Sさんから電話があった。私は留守にしておりカミさんが受けた。電話番号は分かっていますとのことだった、とカミさんの話。電話番号を探したが、出てこない。何しろ最後に電話をしたのは4年半前。それらしきものが出てきたが、かけたら別人だった。104へ問い合せたが、”登録されておりません”とのことだった。
”しょうがないな、また手紙を出さなきゃな”、と思っていた。Sさん、世間の常識であるメールなんてものとは関わりがない人なんだから。
と、2〜3日後、分厚い封書が届いた。
”同封のワープロ作文は、大分以前に作成したものです。そのまま放置しておりました。整理をしていたら出てきましたので、処分する前にお目に供するのも一興と思い、お送りいたします”、という紙片が入っており、A4版1〜2枚のエッセーが10篇ほど同封されている。
一時英語を習っていた南アフリカからきた男、茶色の肌、縮れた髪、太い両腕に複雑な絵模様の入れ墨が彫ってある男との交流を記したもの。失念していた”おやじの命日”の話。駅で出会った気さくな新入生のこと。
中に、「明と暗」という一篇がある。冬の日常を記したもの。
<起きだす。水分補給に水をコップ一杯呑み干す。それから素っ裸になって着替え、シューズの紐を結んで廊下に出る。屋外へ出、全身がひやりとした外気に曝される。二度三度深呼吸をし、・・・・・、準備運動をこなして走る。・・・・・。汗をかいてもどり、シャワーを浴び、体を・・・・・。僕はまったく幸福に満たされる。朝食のテーブルにつき、熱い牛乳をすする>。
何たること。だらしない私の日常とは正反対。
これからの時季なら、「わが夏の頌」という一篇。
大正元年、徳富蘆花45歳の時の「みみずのたはこと」から書き出される。”夏は好い、夏は好い”の夏礼賛。
<朝に晩に水を浴びる。これは蘆花のいう「霊魂の煤掃き」も及ばないものがある>、とSさんは記し、冷房を使わない夏を語る。
それはそれで面白いのであるが、会うためには今一度手紙を出さなければならない。ヤギだったかヒツジだったかの郵便屋さん、と同じである。”さっきのお手紙、何ですか”、と同じ。電話も分からず、メールはないのであるから。
葉書を出した。”申しわけないが電話番号を”、と。
で、居酒屋でなく、日暮里で会うことになった。10日ほど前の週末、11時半に日暮里駅で。
谷中へ行くんだ。
パソコンもしない。以前聞いた話では、30年ぐらい映画を観たことがない。テレビはあるがほとんど見ない。ラジオはNHKの語学講座を聴き、録音に取り、繰り返し聴く。だから、英語は得意。体力もある。
Sさん、何度か記したことがある。”わが道の人”とか”我が道を行く人”とかという表現で。
10日ほど前、日暮里駅で会った後、まず駅を出て右の方へ行った。そっちの方、荒川区になる。

すぐにこの寺があった。
長久山本行寺。

挨拶がわりに山門の中をパチリ。

少し先にはこのような店が。
佃煮屋である。風情があるなー。

はぜ100グラム500円。
その横のしらすは100グラム600円。下の葉唐辛子は300円。

鉄火みそは100グラム250円。200グラムなら500円。確かにそうであります、というほかない。面白い。
この日、台風何号とかが来ていた。近畿や関東も雨が激しくなるかも、との予報が出ていた。でも、この時季、多少の雨なんてどうってことない。むしろ降ってくれた方が面白い。そう思っていた。
暫らく、”谷中ぶらぶら”を続けます。”雨がポツポツ”と降る中の。