流山子雑録     『酔睡胡乱』

+ α 。


やはり、と言うべきであろうか。
昨日は大相撲春場所14日目、テレビ桟敷で酒を飲みながら見ていた。
大関取りまであと1勝の貴景勝、後がないカド番大関の栃ノ心、久しぶりに馬力で相手を押しつぶしている逸ノ城、と。何だかんだ言っても白鵬の優勝は決まったようなものだし、と。
ブログ「流山子雑録」を記す頃には、少しふらーりとしていた。やばいな、とは思ったがブログに取りかかった。いつまでも引き延ばしてはいられない、と。
しかし、やはり、途中で眠ってしまった。まさに「酔睡」状態。「胡乱」の極みとなったようだ。「酔睡胡乱」、9年8か月余続けてきた文字通りの雑ブログのタイトルそのまま。
昨日の見出し、イケムラレイコ展の方は何とか記したが、後ろの「+ α」が途中で切れている。
ドイツの懐の深さ、分厚さ。同じ敗戦国でありながら日本との異なり、戦後処理の決定的な違い。リーダーの問題。戦後日本の大宰相は吉田茂ひとりであるに対し、ドイツにはアデナウアー、エアハルト、ウィリー・ブラント、コール、そしてメルケルが思い浮かぶ。このようなことを記そうと思っていたのだが、コロッと抜けてしまった。何故、イケムラレイコや多和田葉子がドイツ社会で育てられたのか、といったこと。が、今となっては、抜けたままでいい。



さて、今日は春場所千秋楽である。
この一番に大関取りがかかる貴景勝と、この一番に敗れると大関から陥落する栃ノ心の何とも言えぬ一番が組まれた。
貴景勝が素晴らしい相撲で勝った。新大関を確実なものとした。
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二桁勝利を挙げ、大関を確実とした貴景勝。
土俵下でほっぺたを膨らませるいつもの表情であるが、涙ぐんでいるようにも見えた。
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春場所の星取。
白鵬、全勝で42回目の優勝。
御嶽海は終盤盛り返したが負け越した。後から来た貴景勝に大関取りの先を越されたばかりか、長く保ってきた三役の座も明け渡すこととなった。来場所以降、文字通りふんどしを締め直して大関取りに挑戦しろ、と言いたい。


つい先日、妙高高原の植松圀夫から趣き深い冊子が届いた。先般の早稲田美研60-70展にバーナーで焼いた夥しいビール缶を持ちこんだ男である。
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『昼も夜も空見て暮らす』。
カッコよい書名である。
昼も夜も空見て暮らす。
妙高高原の空、昼は抜けるよう、夜は降り注ぐような満点の星空であろうか。
書状が同封されていた。
<・・・現在身辺の持ち物を整理処分していまして、・・・。中に、過去に増刷した「句歌集」の残部が・・・。なるべく多くの人の目に触れてから亡びてもらえれば本望と思っています。・・・。一瞥棄捨いただければ幸いです。>、との。
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2001年(平成13年)2月の句。
     昼も夜も空見て暮らす枯野かな
芭蕉の終焉の「枯野」の句を思う。が、植松の「枯野」は、まだ踏んばっている「枯野」であろようだ。
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1999年(平成11年)12月。
この年、12月21日午後3時40分、<東昇する月と西没する太陽に偶然出会いました。>、とある。
手作りの小冊子、「一瞥棄捨」などできないよ。


ところで、このブログ・「流山子雑録 『酔睡胡乱』」、仕事の第一線を引いた後、ボケ防止の一助になるかと思い2009年6月末に始めた。
その時から9年8か月余、9か月弱となる。今日で2597記事となる。
体調の悪い時、入院している時、旅行へ出ている時以外は記してきた。ここ暫らくはないが、以前は一日に5、6000字、400字詰め原稿用紙で14、5枚程度を記していたこともある。
初めは、2009年6月28日であった。
芭蕉と曾良の「主従二人」の追っかけであった。『奥の細道』の。
芭蕉と曾良の主従二人、石巻にいた。大垣まで追いかけた。翌年、深川からの出立から追いかけ、石巻まで追っかけた。で、『奥の細道』の追っかけ、成就した。
思い返すと、年に何度か行なった連載が思いに残る。


2010年正月には、「日本遺産 補遺」を記した。
「藝術新潮」が創刊60周年を記念した特集・「日本遺産」について記した。日本遺産のランキングを。集計も含め18回にわたり。
現役時代のように海外へ行くことは少なくなったが、国内へはあちこち行った。
2010年には奈良へ。
2011年には高橋重夫のチェンマイの別荘に招かれた「北泰紀行」。
翌2012年にはパリとリスボンへ行った。2012年4月23日から9月24日にかけて記した。長期の連載となった。途中に幕間休憩を入れて。
2012年1月25日から2月15日にかけては「岩手あちこち」を記した。あの大震災後、やっと三陸の地へ行くことができた。
翌2013年には夏前には、下町生まれの男の案内で「谷中ぶらぶら、雨ポツポツ」を。その男も2年前、あの世へと旅立った。
その年秋にはホーリー・プレイスを巡った。「高野・熊野・伊勢巡り」、高野山から熊野三山、お伊勢さん、この年の11月から12月にかけ32回にわたり連載した。
翌2014年の夏前には、比叡山から洛北の大原、そして洛東の東福寺塔頭まで、「青もみじ巡り」を2か月余続けた。
2015年には、春先に奈良へ行き、夏には三陸沿岸へ行った。久慈から宮古、釜石、盛、大船渡、陸前高田、気仙沼、石巻、松島海岸、と巡った。
2016年には、夏前、倉敷から直島、岡山、と「吉備の国アート巡り」へ行った。31回の連載となった。草間彌生の大きな「カボチャ」を見た。
この年の夏には、今井町の古い街並みから長谷寺まで、17回の「やまとめぐり」も記した。
2017年には、春先、「雪の里アート巡り」を記した。新潟、雪の深い十日町とその周縁を巡った。
その年秋には、「湖北・長浜逍遥」を16回にわたり記した。
昨年・2018年は、「神戸散歩」へ行き、「バンコク散歩」へ行った。高橋重夫からもらった航空券を使って。25回連載した。
毎年何らかの旅行がらみのことはあるが、それと何らか繋がるということがある。


一昨年、昨年と肺炎で入院したこともあり、昨年春、「住み果つる慣らひ考」を記した。兼好法師の『徒然草』第7段からその文言を拝借した。校訂者によれば、お借りした文言は、「人間に死というものがなかったなら」という意味らしい。多くの先人たちの書から学ばせてもらった。この連載も思いに残る。


昨日の月齢は、15..5.。
.昨日は「旧暦如月の望月の頃」ではないか、と思っている。
「その如月の望月のころ」、西行はこう願う。そして、それを成しとげる。
断食往生、自死である。このこと、山折哲雄から教わった。私も、と思う。
何日か前、満78歳となった。
いかに死ぬべきか考えねばならない。


突然と受けとられるお方もおられようが、このブログ・「流山子雑録 『酔睡胡乱』」、今日で中断する。
9年8か月余、2597回の更新であった。歳も取った。すっきりしたい、ということもある。


さまざまなこともあった。小さなことごとも。
悩ましいことがある。何人かの人から個展や団体展の案内ハガキが届いていることである。今月末から来月にかけても何人か。私よりはるかに年嵩の人、90代半ばかと思われる人からは「今回が最後の出展となると思います」、という添え書きがあった。
悩ましい。
東博はじめ美術館、博物館へは行っている。今月初めには3年ばかり修復休館していたMOT・東京都現代美術館から大きな封書が届いた。MOTの会員であった皆さまへ、というもの。今月末、リニューアルオープンする。また会員へなってください、というものである。MOT、言われなくてもそうするよ。


西行の「願わくは・・・」の歌に憧れながらもであるが、暫らく前人間ドックへ入った。大いなる矛盾であろう、と思いながら。
結果は一月後となる。あちこち諸々、どうこうある。どうあれ、それでいい。
たまには、何らかのことを記してもいいかな、とも思っている。


映画は見るようにしている。
月に20本前後観ているゴールデン街の「バー 十月」の和子ママには遥かに及ばないが、月に5本程度は映画館へ通っている。
アメリカの映画作家では、ウディ・アレンとクリント・イーストウッドの作品は見逃さないようにしている。
数日前、イーストウッドの最新作『運び屋』を見た。ピックアップ・トラック、『グラン・トリノ』に繋がる。そのエンディング、Toby Keithのカントリー「Don’t Let The Old Man In」が流れた。
字幕では、「老いを迎えいれるな」とされていた。
西行と真逆じゃないか。そんなこと言われて、参った。


昨日も飲みながらキーを打っていたが、だんだんあやしくなっていった。頭も身体も。
今日、見直していったら長年この雑ブログにお出で下さった方々へのお礼の言葉がない。抜けている。
みっともないので、今日、書き足した。
9年8か月余、その間、私の知る人ばかりでなく、ネズミ算式に私が直接知らない人たちがこの雑ブログを訪れてくださっているようです。
皆さま、ありがとうございました。
感謝申しあげます。
ルーチンとしての「流山子雑録」は中断いたしますが、時折り気分のいい折りには記してみようか、とも思っております。
平成も終わる。「流山子雑録」もいったん終わります。


世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり     (閑吟集)