谷中ぶらぶら、雨ポツポツ(2) 富士見坂へ。
富士見坂の方へ歩く。
そう大きなものではないが、お寺が次々と現れる。
経王寺。
山門の前で、小さな赤っぽいリュックを背負い、黒い傘をさしているこの人がSさん・わが道の人である。
谷中の生まれ。実は、御年70代後半。しかし、毎朝起きればシャワーを浴びてジョギングへ出る。帰ってからはまたシャワーを浴びて朝食を取る。その後は勉強をする。
私とは正反対のこういう人、苦手であるのだが、どういうワケか永年の友人。「歩くのがさほど得意でなければ、休憩をしながらゆっくりと行きましょう」、と言って谷中のあちこちを緩やかに案内してくれた。
この寺、こういうお寺であるらしい。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争の折り、彰義隊士を匿っているんだ。将軍さまのお膝元だもの、当然だ。で、薩長軍の銃撃を受けた。
銃撃の痕、幾つもある。
ここにも。
千社札も年季が入っている。
啓運寺。
その後ろにはノッポのビルが3本も見える。この3本のビル、日暮里駅のすぐ向こうにある。趣きは削がれるが、致し方ないか。
富士見坂の方へ歩く。このような道を。やはり下町だ。
富士見坂。
現在でも見えるとは記されているが、果たしてどうか。
子供たちの代表の文言も掲示されている。
新大久保のビルよりも近いところに新しいビルが建っている。”富士見坂”、かってそういう坂があった、ということになるのであろう。
そのすぐ先には諏訪神社。
その境内。
こういう掲示板がある。
”誰だって、・・・・・”という宮澤賢治の言葉、夏越しの大祓、その右には「日暮里富士見坂から望む富士山」という写真も。
社殿では、何らかのお祓いが行われていた。初宮詣のお祓いかもしれない。皆さん、神妙。
このすぐ下、向こうには山手線が走る。
ぐるっと一周山手線の中では、最もレトロっぽいところかもしれない。