意を問う勿れ。

メキシコシティの街中を朝から晩まで、大きな氷の塊りを押し続ける。小さくなって、溶けてなくなるまで9時間以上も。砂塵を巻き上げる竜巻の中へ、カメラを持って突入する。
「なぜ、この男は氷を押しているのか」、また、「なぜ、この男は竜巻に飛び込んでいるのか」、「そもそも、どういう意味があるのだ」、なんてことを考えちゃいけない。意味など問うてはいけないんだ。意味など、どうでもいい。
「おお、そうか」、と応じるのが、まあ、ルール。
今の東京都現代美術館の主要企画展のあとひとつは、これ。

フランシス・アリス、1959年ベルギー生まれ。ヴェネツィアで建築を学び、1986年メキシコへ渡る。はじめの頃は建築に携わっていたが、1990年前後からアーティストとして制作を始めたそうだ。
作品は多岐にわたる。アクション、映像、絵画、写真、・・・。今回の出展作もそう。”なんじゃ、こりゃ”、というものもある。しかし、そこはぐっと抑えて、「おお、そうか」、と応じることが肝要。
東京都現代美術館の記述するところによれば、<フランシス・アリスは、今、世界の最重要アーティストの一人>、とある。知らなかった。
ロンドンのテート・モダン、ニューヨークのMoMA、この世界のコンテンポラリー・アートを牽引する大美術館での大きな個展が賞賛を浴びた、ともある。このことも、知らなかった。

会場の入口で、こういうエキジビション・ガイドをくれる。
どこか、旅へ出た時に、その町のインフォメーション・センターでくれる地図のようなものである。フランシス・アリス展の出展作12点についてのガイドである。親切といえば親切。
その一部を拡大すると・・・・・

メキシコシティ中心部のソカロ広場でのコラボ映像について。

1997年の映像作品。≪実践のパラドクス1(ときには何もならないこともする)≫。
大きな氷の塊を、それが完全に溶けきるまで9時間以上も押し続ける。この不毛とも言える行為、ラテンアメリカの社会状況を反映している、とガイドにはある。また、こうも。
<形あるものは何も残らず、物語だけが見る者の記憶の中に刻まれ、語り継がれていくという、アリスがよく用いる手法を本作でも見て取ることができます>、とも。
こりゃ、随分解りやすい説明だな。

≪観光客≫。
仕事を求める日雇労働者が立っている中に、フランシス・アリスがいる。真ん中の背の高い男である。その前には、少し不鮮明であるが、”ツーリスタ(観光客)”というものが。
フランシス・アリス、メキシコへの同化、どうも考えていないようだ。

≪トルネード≫。
フランシス・アリス、2000年から2010年まで、毎年乾季の3月になると、メキシコシティ南東のはずれの竜巻が発生するミルパ・アルタへ行っていたそうである。
<そこで、ヴィデオカメラを片手に竜巻の中へ突入し、渦の中心で崇高な瞬間をとらえようと試みたのです>、とガイドにある。
ごく当たり前のことのように思える。第一、解りやすいじゃないか、この説明。
「なんじゃ、これ」、ってものじゃないんじゃない?

≪愛国者たちの物語≫。
1997年、ラファエル・オルテガとのコラボレーション。
フランシス・アリスが、羊を連れてソカロ広場を歩いている。1968年にソカロ広場で起こった反政府運動から着想したものらしい。<詩情豊かな羊たちの映像の中に、メキシコの政治や社会への鋭い言及を忍ばせた作品>、とエキジビション・ガイドにはある。
ンッ、何のことはない。「意を問う勿れ」どころじゃなく、フランシス・アリスの作品、案外解かりやすいんじゃないか、と思えてくる。
その反面、コンテンポラリーの最重要アーティストとしては、そんなに解かられちゃっていいのかな、と心配にもなってくる。フランシス・アリスのことが。