巨人ベーコン(続き×2)。

「絵というものは、文学でもそうですけど、それ以前に作られたものの影響を無視できない」。NHKのEテレの中で、大江健三郎はこう言っている。そりゃそう、誰しもそうである。
フランシス・ベーコン、ピカソの影響を受けた、と自ら語っている。ベラスケス、ゴッホ、エイゼンシュテインにも。
例えば、これ。


ベラスケスの≪教皇インノケンティウス10世の肖像≫部分。

セルゲイ・エイゼンシュテインの映画『戦艦ポチョムキン』。”オデッサの階段”の場面。

ベーコンが、「オレが描きたいのは”叫び”そのもの」、と言うその場の”叫び”。
これらから・・・

この作品が生み出される。
≪ベラスケスによる教皇インノケンティウス10世の肖像に基づく習作≫の部分。1953年。
ベーコン、イメージとイメージを組み合わせると力を持つ、と考えていたようだ。
フランシス・ベーコンに影響を受けているアーティストも多くいる。当然のことである。
暗黒舞踏の土方巽もその一人。
会場には、土方巽の1972年の舞踏公演「疱瘡譚」(≪四季のための二十七晩≫より)の記録映像が流されていた。多くの書き込みのある「美術手帖」の1970年8月号も。この号、フランシス・ベーコンの特集記事が載っているんだ。また、幾つもの舞踏譜(舞踏のための譜面である)も。
土方巽、ベーコンの作品にインスパイアされる度合い、相当強いものがある。

NHKのEテレには、こういう映像も流れた。
ハンチングを被ったこの人はロンドンのタクシー運転手。ロンドンでの、フランシス・ベーコン縁の地巡りを売りにしているそうである。
ベーコンのアトリエがあった所や、ベーコンがその時々の恋人と会った所などを巡る。例えば、60年代の恋人・ジョージ・ダイアと会ったソーホーのクラブ・コロニールームであるとか、といった場所を巡っているそうだ。

ベーコン、常に死について考えていたんだな。そうであろう、よく解かる。
人生は短かい、とも。ベーコン、82まで生きたんだが。

酒は、そうであろう、よく飲んでいたようである。
「酒の残っている頭で制作をするのが好きだった」、と音声ガイドにはあった。

この写真の右は、≪ヴァン・ゴッホ像のための習作Ⅵ≫。
今回の展示作は、”習作Ⅴ”。やはり、ヴァン・ゴッホにインスパイアされた作品。上の右の作品は、”習作Ⅵ”。
ここ何年かの私、展覧会の図録の類を買わない。
私の部屋、少し大袈裟に言えば、一寸、いや1センチの隙間も無くなってしまった。置き場がまったく無くなった。何日か前、30年前の図録が見つかった。30年前には、図録を買っていた。1983年の6月末から8月半ばにかけて、今回と同じ国立近代美術館でフランシス・ベーコン展が催されている。その図録から。

あと一枚、ベラスケスがらみのものを。

30年前の図録から。
フランシス・ベーコン、1961年から1992年に死ぬまでロンドンのサウス・ケンジントンのリース・ミューズ7番地のアトリエで過ごす。小さなアトリエである。このアトリエ。

こういう絵筆が入った絵具の缶がいっぱいあったんだ。
そのアトリエのすべて、ベーコンの死後、彼の生まれ在所・ダブリンのヒュー・レーン美術館に収蔵され、2001年に一般公開された、という。ベーコン研究の第一人者・マルガリータ・カポックの力が大きかったようである。
アイルランド、ダブリンは知らず。しかし、ロンドンに於いてもフランシス・ベーコンの存在感、べらぼうに大きなものがある。
ピカソと並ぶ20世紀の巨人アーティスト、どうもベーコンが一番座りがよさそうだ。、