巨人ベーコン。

ともかく凄いんだ、この人は。私たちとはまったく違う。特殊な男ではあるのだが、やはり凄い。

東京展は終わり、今は、コンテンポラリー・アートの世界では存在感を際立たせている豊田美術館へ移って行った。
フランシス・ベーコン展、日本では30年ぶりである。

東京国立近代美術館のチケット売り場の横の看板、表の光景が映りこむ。
フランシス・ベーコン展のキャッチ、”目撃せよ。体感せよ。記憶せよ。”というもの。

≪ジョージ・ダイアの三習作≫。1969年の作。
フランシス・ベーコン、1940年代、1950年代、60年代、70年代、80年代、ほぼ10年毎に異なる恋人を持っていた。
中で最も著名なのは60年代の恋人・ジョージ・ダイア。1970年代に入り、パリでフランシス・ベーコンの大回顧展が催される直前、自らの生を絶った。
ジョージ・ダイア、もちろん、男。フランシス・ベーコン、ゲイなんだ。

”ピカソと並ぶ・・・”、とある。
20世紀美術のアーティストで最大の巨人はパブロ・ピカソである。これに異を唱える人は、まあ居るまい。
と、その次には、そのピカソと並ぶアーティストは誰であるか、ということになる。
ピカソと時代が重なるフォービズムの巨人・マティスという人もいよう。シャガールだ、ルオーだ、ミロだ、ダリだ、という人もおられよう。ポロックだ、いやそれならばウォーホルだ、という人もいるかもしれない。
私は、ピカソに並ぶ20世紀の絵描き、強いて挙げるとすれば、フォートリエかデュビュッフエじゃないかなー、と思っている。
しかし、これらの人たち、確かに凄い描きであることはそうであるが、ピカソと並ぶ巨人としてはどこかそぐわない。巨人と呼ぶには、今ひとつなー、という思いがある。
5年半前、ロンドンのテート・モダンへ行った。
テート・モダン、パリで言えばポンピドゥー、ニューヨークで言えばMoMA、東京で言えばここ東京国立近代美術館に東京都現代美術館を加え、更に大阪の国立国際美術館に助太刀を仰ぎ、それを何倍かする、といった美術館である。
5年半前のテート・モダンの展示、まさにピカソとベーコンが対峙する、という部屋があった。
フランシス・ベーコンこそ、巨人に値するんじゃないか、と思えてくる。
眠くなった。明日にする。